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秋田県独鈷城① ~ 浅利氏の本城か?

中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。
平成22年8月17日、十狐城に行ってきました。

独鈷アク

秋田県大館市比内町独鈷にあります。

n 375

 JR花輪線、扇田駅から、県道22号を南下し、独鈷集落を目指します。

 大日堂は、大抵の地図に載っていますので、ここを目指しましょう。

n 381

 大日堂の境内に、独鈷城への矢印があります。

 日本城郭体系によりますと、比内(大館)地方を支配した浅利氏の本城ではないかと推察されています。

 源頼朝が、奥州平泉の藤原氏を討伐したさい、甲斐源氏の浅利氏が従軍しており、戦功により比内地方を与えられたのが始まりです。

de_20100912164043.jpg

 イメージ図を作成しました。現存するのは、本郭と二郭(米倉)のみですが、往時は三の郭と四の郭もあったということなので、妄想により記入してみました。

独鈷

 *平成29年1月追記

  今は、地形図でここまでわかってしまうんですね。

 鎌倉幕府が滅び、後醍醐天皇が建武の新政をはじめます。

 東北には、北畠顕家が赴任し、比内の統治権を南部氏に与えてしまいます。

 浅利氏はこれに反発!

n 392

 進むと大きな池があります。水の手です。

 足利尊氏が後醍醐天皇に反旗をヒルガエシ、南北朝の騒乱になると、浅利氏は北朝、南部氏は南朝として抗争を繰り広げますが、南北朝の統合を受け、元の勢力範囲に戻ったようです。

n 387

 更に進んでいくと、本郭と米倉の間の堀に出ました。

 深さは4メートルで、長さは40メートルもあるそうです。

 独鈷城が築かれたのは戦国時代の始まる頃ではないかと推察されています。

 しかし、安東氏が檜山城に台頭すると、その圧迫を受け、1562年頃、秋田氏の支配下に置かれてしまいます。

n 386

 米倉跡の標柱があります。私はこの標柱の背後の郭を米倉跡と思い込んで、図に記しましたが、もしかしたら、標柱のある、堀底が米倉跡だったのかもしれません。

 没落と反骨へ続く・・・ 

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