FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  秋田県多賀谷氏館① ~ 下妻の風雲児

秋田県多賀谷氏館① ~ 下妻の風雲児

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。
 平成22年8月17日、多賀谷氏館に行ってきました。
 秋田県能代市檜山にあります。

n 260

 檜山集落から、檜山城へ向かう道の右側に、この標柱があり、背後の岡が館跡です。

 多賀谷氏は茨城県下妻を本拠とする大名で、南北朝時代に結城氏の配下となりました。

 戦国後期になり多賀谷重経が当主となると、近隣を圧迫し、その勢力を増します。主家の結城氏が小田原北条氏の圧力に屈服すると、結城氏を見捨て、佐竹氏と連携しながら北条氏の勢力を押し戻します。

 北条氏の勢力が群馬や栃木を覆い尽くそうというとき、その腹で多賀谷氏は北条領を浸食していったのですから、重経の武名は大いに高まりました。

n 261

 標柱の先を登っていきます。

 豊臣秀吉が北条氏を攻め滅ぼし、その後の仕置きを行いますが、多賀谷重経は、結城氏の配下とされてしまいました、怒った重経は嫡子を結城に出仕させ、自らは佐竹より養子を迎え、佐竹の傘下に入りました。

de_20100911111234.jpg

 イメージ図を作成しました。

 先ほどの写真は、「標柱」から、「横矢」の右脇を登っていく写真です。

 佐竹氏は関ヶ原合戦で東軍に与しなかったため、秋田へ転封となり、多賀谷氏もそれに従います。

 多賀谷氏は檜山1万石を与えられ、檜山城に入りますが、1620年幕府の命令により廃城となりました。多賀谷氏は檜山城の麓に館を築き、幕末まで在地支配の拠点としました。

n 263

 中郭です。その先が本郭です。

 能代第二中学校の同級生に多賀谷君がいましたが、きっと多賀谷氏の末裔だったのでしょう。多賀谷姓に前述の意味があるなんて、最近知りました。

n 266

 中郭の一段下には、池があり、水には困らない館であったようです。

n 265

 本郭への小口には「表門跡」の表示があります。

 羽州街道をおさえるへ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード