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二子城② ~ 第一次和賀一揆

 二子城の第2話です。

n 102

 塁壁には小口らしき箇所があります。

n 103

 和賀氏は、奥州藤原氏滅亡後、豊臣秀吉による天下統一までの間、三百数十年にわたり和賀地方を治めたと記されています。

 日本城郭体系によると、和賀氏は鎌倉幕府御家人中条氏の出であると言うことです。

n 109

 南側には何段もの郭が連なっています。

 豊臣秀吉は東北の大名に対し、小田原攻めへの参陣を促しますが、和賀氏は応じませんでした。

 伊達政宗が「私が秀吉にとりもってやるから、安心して、待っていなさい。」と言ったから。三戸南部が間者を送り込み小田原参陣派を沈黙させた等、諸説あります。

 いずれにしても和賀氏は所領を没収されてしまいます。和賀氏は「大名としては取りつぶされても、恭順の意を示せば、新たな領主から村の代官くらいには取り立ててもらえるのでは?」と密かに期待をしていたのですが・・・

n_20100905160059.jpg

  秀吉は、和賀郡を自分の蔵入り地とし、その管理を浅野長政に命じました。

 浅野長政から和賀氏には何の沙汰もなく。結局和賀氏は何もかも取り上げられて放り出されてしまったのです。

 これには和賀一党も驚き、アキレ、絶望したのでした。絶望はやがて怒りへと変わり・・・ 奥州仕置き軍がこの地を去ると和賀氏は蜂起したのでした。他に稗貫氏、葛西氏、大崎氏、九戸氏も蜂起しました。

n 110

 神社があるのは、南二の郭でした。

 和賀・稗貫の残党は、浅野家臣後藤半七の守る二子城を奪取し、稗貫氏の本城であった花巻城を包囲します。

 浅野長政の代官として城を守っていた浅野重吉は困窮します。

 そこに南部氏が救援に駆けつけます。南部氏は一揆勢を押し戻し、一旦、花巻城に入りましたが、一揆の勢いが増すのを見て、浅野重吉とともに花巻城を捨て、三戸に退却しました。

 花巻城には元の城主である稗貫氏が入り、和賀・稗貫の残党は完全に旧領を回復したのでした。

n 111

 本丸への道を登っていきます。

 14万VS1千へ続く・・・

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