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岩手県浄法寺城① ~ 畠山重忠子孫

中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。
平成22年8月14日、浄法寺城に行ってきました。

a浄法寺アク

岩手県二戸町浄法寺町・浄法寺郵便局すぐ西の山上にあります。

n 142

 南側から撮影しました。

 右側の電柱の左側の盛り上がりから、更に左側に続いています。

 秩父の武将畠山重忠は、源頼朝の挙兵に参加し、平家倒滅に戦功を挙げます。

 一の谷の合戦で、平家の陣地の裏山に達した源義経は、鹿が断崖を下るのを見て、「鹿が下れるのだから我々も下れる」と、平家への奇襲を命じます。畠山重忠は、愛馬が足をくじくのを心配し、自ら愛馬を背負って崖を下ったとするエピソードが有名です。

 畠山重忠は、恩賞として伊勢の一部と、奥州の一部に所領を拝領します。そして、鎌倉幕府の重鎮として権勢をふるいます。

 ところがそれを妬む者の讒言により謀殺され、関東での所領を失います。畠山重忠の子は、陸奥の領地支配を続け、重忠の孫の代に幕府をはばかり、畠山性を捨て、浄法寺と名乗ります。その支配地は安比川流域でした。

 現在の区割りで言うと、二戸市の西側3分の2と八幡平市の北側3分の2となります。

 浄法寺氏は鎌倉、室町、戦国期を通して同地を治めていました。

n 143

 上の写真の左側の電柱が、この写真右側の電柱です。

 浄法寺城は、この写真の右から2本目の電柱のアタリまでが城域です。

 率直に申し上げて、広大です。

iw_20100831202148.jpg

 イメージ図を作成しました。

 形の整わない郭たちが、全体としても整わずに、分在している・・・

 東北の古い城の典型です。

 しかし、この城は、他の東北の城に勝る点が多々・・・

 順次、紹介させていただきます。

 さて、1590年、豊臣秀吉の支配が東北にまで及びます。

 この地域の豪族は南部グループの緩やかな連合体の一員でしたが、秀吉の世の中では、「当主と家臣」の関係を求められました。

 これに反発した九戸氏一党が蜂起したのが九戸の乱でした。中央政府軍が三戸南部を支持したため、浄法寺修理は三戸南部に荷担しました。

n 144

 八幡館南側の塁壁です。

 鹿角街道包括へ続く・・・

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