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真田郷松尾城① ~ 真田幸隆の謀略

中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。
平成22年5月15日、松尾城に行ってきました。
上田市真田町長熊久保にあります。


n 048

 松尾古城方面から見た松尾城です。

 現地表示は真田本城となっていますが、この名前は20年ほど前に「真田郷にある城は全て真田氏によるものである。これだけ真田氏の城があるのだからそれらを統括する本城があってしかるべきだ。」という誤った認識のもと「真田郷城塞群の中で場所的に真ん中っぽいし、規模もまあまあだから」といった、感覚的な理由で、ある郷土研究者さんが勝手に名付けてしまったもので、この名の正当性は疑わしいものです。地元の伝承や記録は松尾城となっていますので、私は松尾城と呼びたいと思います。


n 002

 上の写真と同じ角度から見たイメージ図です。

 細尾根上を利用しただけの、単純なつくりで、創始はかなり古いものと推察されます。


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 イメージ図、本郭の左側の部分です。ここまで車で登ることが出来ます。

 さて、真田幸村のおじいさん「真田幸隆」は、松尾古城周辺を治めていましたが、1541年、武田、村上、諏訪連合軍に攻められ、この地を追われ、関東に逃れます。
 その後武田信玄に仕え、旧領回復に執念を燃やします。


n 052

 本郭を守る大きな土塁が奥に見えます。

 真田幸隆が旧領を回復したと思われるのが1550年です。
 川中島の寺尾氏が武田に加わり、それを知った村上氏が寺尾氏を攻め、寺尾氏を支援すべく武田氏は真田幸隆を加勢に派遣しています。

 川中島への道のうち、千曲川沿いの道は村上氏が葛尾城を構えているので通過不能です。
 イメージ図をご覧下さい。尾引城の脇に、地蔵峠を越えて川中島に至る道があります。
 真田幸隆は、この地蔵峠超えで、寺尾氏救援に行ったことになります。
 とぴうことは、この次点で、旧領松尾古城を回復し、更に松尾城や尾引城も勢力圏内にいれていた。
 そうでなければ、寺尾救援は不可能です。


 n 053

 本郭の土塁です。三段になっていて、三段あわせると高さは7メートルにはなると思われます。

 この城で、真田幸隆が恐ろしい謀略を実行したのではとされる記述が「甲陽軍艦」に残されています。

 悲劇の村上勢五百へ、続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
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