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茂木城④ ~ 佐竹・宇都宮連合の命綱

 茂木城の最終話です。

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 おおヤブの三の丸から撤退し、本郭の小口を登ります。

 左上から横矢がかけられるようになっています。

 さて、戦国末期になると北条氏が関東を制圧し、抵抗するのは佐竹氏と宇都宮氏のみとなってしまいました。

 茂木氏は、この時、佐竹の傘下の位置づけです。


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 北条氏は、東北の覇者「伊達政宗」と結び、佐竹・宇都宮連合を挟み撃ちにしようと目論見ます。

 宇都宮領は、見る見るうちに侵食され、宇都宮領と佐竹領を結ぶのは、茂木領のみとなってしまいます。
 (日光・壬生・皆川・佐野・結城・水谷・益子は、少し前まで宇都宮の味方でした。)

 ここで茂木領が陥落すれば、宇都宮は立ち枯れとなり、佐竹氏も降伏せざるを得ません。

 茂木領は、関東の覇権を左右する重要地点となったのです。


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 本郭です。

 佐竹・宇都宮連合にとっては、茂木領こそ、存亡をかけた命綱でありました。

 1585年3月、北条の先兵として、結城氏と益子氏が攻め寄せ、茂木城は落城、しかし、すぐに佐竹の大軍が来援し、茂木城を奪回したとのことです。

 おそらく、佐竹の大軍は茂木城に常駐し、二度と陥落しないよう補強工事を施したことと推察します。

 第三話で紹介した。切り立ち土塁と、三の郭横堀は、この時のものであろうと思われます。


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 本郭から、池、千人溜まり、三の郭を撮影しました。

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 本郭から南東を撮影しました。
 右側の三角山が「芳賀富士」で、その向こうが益子領です。
 佐竹・宇都宮連合が、いかに追い詰められていたかを、感じとることが出来ます。


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 本郭から、二の丸にかけての塁壁下には、水堀が残っています。

 茂木城の奪回から、9ヶ月後、中央で覇権を確立した豊臣秀吉が「関東総無事令」を発し、佐竹・宇都宮連合は生き残りに成功しました。

 3年後の1590年には、豊臣秀吉により北条氏は倒滅され、佐竹氏は近隣の小名と共に秀吉に謁見、秀吉は小名たちを佐竹の配下としました。ここに茂木氏は、「傘下だけど同盟関係」から、佐竹家臣となります。


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 佐竹氏は、中央集権を確立する為、常陸南部の小名達を騙まし討ちにして、所領を取り上げ、茂木氏にも配置換えを迫ります。茂木氏には従う以外に道はアリマセンデシタ・・・

 かくして、茂木氏は平安以来の所領を去ることになりました。

 更に、関ヶ原で佐竹氏は、徳川に組しなかった為、秋田へ改易・・ 茂木氏はこれに従い秋田へ移りました。

 その後、茂木城には、細川氏が入り、幕末までこの地を治めたとのことです。

 ホームページ 「土の城への衝動」

 
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Comment
6月26日よろしくお願いします。
お師匠!
お返事有り難うございます。
6月26日(土)御同陣お願いいたします。
仙当城方面は未だ攻めておりませんので、
ご指導、宜しくお願いいたします。
春日山城ツアー以来ですか?
お顔を拝見できるのが楽しみです。
茂木城の攻防を面白く読みました。佐竹と宇都宮とを結ぶ唯一の城であったわけですね。
 6月の土曜休みは6月26日のみです。
真田に出かけられたようですから砥石城へ行かれたと思いますので、飯山城、城坂城(野沢温泉村)、仙当城(栄村)など北信の国境の城を予定しますがどうでしょうか。
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