FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  西明寺城④ ~ 8メートルの塁壁

西明寺城④ ~ 8メートルの塁壁

 西明寺城の最終回です。

m 036

 東郭の東側は、8メートルの塁壁で守られています。
 1段の高さが約25センチで、32段ありますから、8メートルと算出しました。
 近年、ハイキング道の整備で、石段が造られたようですが、往時の通行路は別にありました。
 イメージ図をご参照下さい。


m_20100508180706.jpg

 さて、この回も、「関東古戦録」からの抜粋でお届けします。

 そもそも益子は、宇都宮家数十代の腹心であることは皆よく知っていることである。
 この頃、芳賀家の力が強く反発したのである。また、戦国の世で、しかも、当主宇都宮国綱は若く、母堂南呂院が仕切っていたので、益子は悔しさのあまり憤りを抑えられなかったのである。


m 037

 東郭の東下の郭です。

 益子方は、国境に番所を作り、遠見を置いた。
 笠間勢は益子領へ攻め寄せようとした。益子勢はこれを発見し、大いに戦った。
 これにより、笠間勢は破れ、益子勢は、笠間方の谷中玄蕃充など複数の武将を討ち取った。


m 038

 東側には段郭が続いていました。

 谷中玄蕃充は橋本城を任されていたが、戦死してしまった。
 その嫡男、谷中孫八郎は、若年であった為、単独で城を守るのは心配であるとされ、本丸には年配の武将が入り、谷中孫八郎は、二の丸へ退かなければならなかった。
 谷中孫八郎は、無念でならなかった。


m 040

 二の郭と北郭の間に来ました。

 翌年、笠間勢は戦死した侍大将の弔い合戦をすることと決め、益子領へ出陣した。

 益子方の富谷城の近くまで進出し、畑で大豆を収穫している女子供をとりこにした。
 その声を聞いて富谷城から、益子の軍勢が飛び出してきた。

 益子方の青柳豊後守が、大声を上げ「昨年の今日、幾つかの首級を申し受けたが、また、今日も皆殺しになるぞ。笠間の運命もここまでじゃ」

 これに対して、笠間方の谷中孫八郎は、「今日は味方の運命も定まるが、その方への報いもある。山の上を見よ!」


m 042

 北郭はキャンプ場になっていました。

 山上には笠間勢が旗を翻し、鬨の声を上げて駆け出そうとしていた。

 他の箇所からも伏兵が打ち出た為、益子方は肝を潰し、富谷の城へ撤収した。
 笠間勢は逃げる益子方を追撃し、益子方の首級を上げた。笠間勢が首級を点検したところ、昨年、味方が討たれた倍の首を取ったので、会稽の恥を雪いだと喜んだ。

 谷中孫八郎は、益子方の伊達出雲守を討ち取った為、その功により、橋本城の城主として認められた。


m 041

 北郭から北東方向を撮影しました。
 真ん中の山が「芳賀富士」です。芳賀富士の向こうは茂木領・・・
 目と鼻の先ですね・・・

 益子氏はこの後、茂木領へ侵攻することとなります。

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード