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伊豆丸山城⑤ ~ 豊臣水軍来襲

 丸山城の最終回です。

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 東側を撮影しました。
 大きな入り江となっています。
 海が荒れたときに、行きかう通商船が身を寄せるのに適した場所です。
 通商船に、水や食料を売り、入港税を取る等して、「海賊・富永氏」は、生計を立てていたことでしょう。

 1582年には、武田家が滅亡し、その旧領を巡って徳川家康と北条氏政が対立しますが、すぐに和解。
 駿河湾には、また、平和が訪れました。


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 中腹の東屋には、「パンフレット入れ」が・・・

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 残念でした。ここにパンフレットがあれば、このレポートも違ったものになっていたかもしれません。

 1590年には、豊臣秀吉が北条征伐を宣言、20万とも言われる大軍が召集されます。


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 丸山城、最高所への登り口です。

 北条征伐に従軍した海軍は、加藤嘉明、脇坂安治、九鬼嘉隆、長宗部元親ら1万5千人にものぼりました。


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 登っていくのは図の「物見」です。
 図の裏側、「物見」の東側には、10段以上の、石積み帯郭があり、この場所も防御の対象になっていたことが偲ばれます。

 北条氏は、中伊豆の韮山城と、南伊豆の下田城を重点防御地点とし、援兵を入れますが、ここ丸山城には、援兵が入ったとの記録は見られません。この地の領主富永氏は、北条家・家老として韮山城へ入ったとのことですから、丸山城は、守兵100程度と住民が避難の為、入城したことと推察されます。


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 頂上には津嶋神社が建っています。写真の左側は切り立ち、海を眺めることが出来ました。

 丸山城は、豊臣勢に攻められ落城したと記録されていますが、1万5千対100では、抗戦のしようが無く、助命を条件に開城したことと推察いたします。


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 城の背後を守る堀です。
 埋められて、畑となっていますが、その幅から深さは10メートルはあったことと推察いたします。

 北条氏が没落すると、この地に騒乱は無くなり、丸山城はその使命を終えたようです。
 昭和の始め頃までは、城跡に集落があったとのことですが、現在はワズカな畑と、広大なヤブと・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 


 
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