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東京都片倉城① ~ 舌状台地

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成21年3月21日、片倉城に行ってきました。

 京王電鉄高尾線「京王片倉駅」のすぐ南にあります。


m 039

 城址公園として整備されています。駐車場やトイレ、モニュメントも・・・
 モニュメント越しに仰ぎ見る片倉城塁壁の写真です。かなりの比高があります。
 20年ほど前に訪れた際は、城の見方が解っておらず、本丸と二の丸の間の埋もれた堀を見て、帰って来ました。


m_20100327174830.jpg

 今回は、お絵かきをしながら見て廻りました。
 片倉城は、築城時期、城主等不明ですので、縄張り解説のみのレポートとなります。
 三方向を低湿地に囲まれた舌状台地の突端に選地しています。
 この城を攻める軍勢は、図、左側の台地上に軍勢を展開するしか道はありません。


 m 021

 「あ」の方向から攻めようとすると、写真の深い沢に阻まれます。

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 それでもアエテ、沢を下り、迂回する敵兵は、写真の「出丸」からの射撃に阻止されます。

m 022

 「い」の方向から攻めようとすると、堀と土塁に阻まれ、二の丸土塁と「外やぐら台」から十字砲火を浴びます。
 写真の堀です。幅は6メートル以上あります。ということは深さは6メートル以上あった。掘った土を積み上げた土塁の高さは6メートル以上あった。堀底から土塁の上までの比高は12メートル以上あったことになります。

 マイクロ真田丸へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: Re: こちらにもおじゃまします。
なめこうに様 ご来訪ありがとうございます。

 おっしゃる通り、バラバラな領地は、調べる者として混乱の要因ですね。

 かえって、戦国時代のほうが地続きなので理解しやすいです。
Re: こちらにもおじゃまします。
こんばんは。
長井氏@片倉に関しては、毛利が厚木なので、大江系の所領は神奈川県のあのあたり(相模線沿い)にばらーんとあったのではないかと、根拠も無しにざっくりと考えていましたが、そんな単純な話ではないのですかね。
江戸時代の藩もそうですが、それ以前の荘園制(?)の時代の「バラバラな領地」(空間だけではく時間的にも)に関する武士の皆さんのメンタリティが今ひとつつかめません。もっと勉強せねば。。。
Re: こちらにもおじゃまします。
ねめこうに様 ご来訪ありがとうございます。

 なめこうに様も訪問されていましたか。

 一部破壊はあるものの、残存部分はなかなかですね。

 長井氏と言えば、神流御嶽城の城主が一時期長井氏だった記憶があります。

 つながりがあるのでしょうか・・・
こちらにもおじゃまします。
こんばんは。
2009年の秋ですから、武蔵の五遁様とはちょうど同じぐらいのときにこちらへ来たことがあります。
階段を上った神社のお賽銭箱に、毛利の家紋として有名な一文字に三ツ星が描かれていたので「あれ?」と思った記憶があります。
案内図や立て札などには、大江氏惣領の系統の長井氏(つまり毛利と同族)の居城というように記されていましたが、実際のところはやはり不明ということろでしょうか?長井氏、本貫は山形県長井市なんだそうですが。。。
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