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埼玉県用土城① ~ 藤田重利隠遁

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成22年3月14日、藤田重利の用土城に行ってきました。

用土アク

 埼玉県寄居町用土にあります。
 地図を見ると、この用土地区がまるで飛び地のようになっているのがわかります。
 「藤田氏墳墓の地・寄居町」とこの用土地区のつながりの強さを感じます。


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 寄居町の中心部から、国道254号を北上し、深谷市に入り、また、寄居町に入るとすぐに「千元前交差点」があり、ここを右折して、県道265号を北西に進みます。

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 150メートルほどで、左側に「藤田院蓮光寺」があります。
 藤田氏ゆかりの寺であると推察されます。

 「北武蔵を駆け抜けた武将達」によると、藤田氏は・・・・
 平安時代、小野孝泰が武蔵の守として下向し、その孫の時範が猪俣党の祖となった。
 その後、猪俣党から藤田氏が分かれたとのことです。


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 蓮光寺の石積みです。

 鎌倉幕府成立時には、平氏追討軍に加わり、鎌倉幕府の下で領地を安堵されました。
 室町期、関東に管領として下向した上杉氏に反発する、坂東武者が多い中、藤田氏は恭順を貫き、関東管領山内上杉氏の重臣に取り立てられます。


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 蓮光寺の池です。(石積みの脇に平行して伸びているので、堀だったかもしれないと妄想します。)

 やがて、関東管領と鎌倉公方の対立が始まり、関東は混乱・・
 その後、関東管領山内上杉氏と、扇谷上杉氏の対立も始まり、更に混乱・・・

 その混乱に乗じて勢力を伸ばしたのが、小田原北条氏でした。
 1546年、北条氏康は川越にて、関東管領山内上杉、扇谷上杉、古河公方連合軍を撃破します。
 扇谷上杉氏は滅亡、古河公方は北条の支配化に・・・
 関東管領山内上杉氏は、上州と武蔵の一部に孤立してしまします。
 藤田氏は、このまま上杉の傘下にいても滅亡を待つのみと判断し、北条へ頭を垂れる苦渋の決断をしたのでした。


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 蓮光寺すぐ西の狭い道を300メートルほど北上すると、用土城址碑があります。
 藤田家当主「藤田重利」は、娘婿に、「北条氏康四男・氏邦」を迎え、当主の座を譲ります。
 また、北条氏康から「康」、北条氏邦から「邦」の字を賜り(押し付けられ)藤田康邦を名乗り(名乗らされ)ます。
 そして、防御力の低い「用土城」を築いてそこに移り、恭順の意を示したのでした。一方、用土城に入ると同時に「用土新左衛門」を名乗り、「康邦」の名を捨てます。彼なりのササヤカナ意地の表現だったかと思うと切なくなります。


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 城址碑の裏には、そのあたりの経緯が簡明に記されています。
 奥に写っている、城郭建築風の公民館を目印にすると、発見が容易です。

 さて、用土城の遺構は・・・

 北条家へ反抗する気持ちが無いことを示す為に、元々大きな普請はしていなかった。
 後に藤田重利長男重連が北条家に毒殺され、次男信吉が敵である武田氏へ奔る等の過程で藤田氏の居館である用土城は、見せしめのために破却された? (それまでは北条氏→藤田氏→秩父衆の支配体制だったが、その後、北条氏→秩父衆の支配体制になっている。)
 戦乱の世が終わり、日当たりが良く、農業に適した場所であった為、耕作されてしまった。

 ・・等の理由で、現存していないとのことです。


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 なだらかな岡の一番高い場所です。
 多分、本郭があったであろう・・・
 西側に猪俣城が見えます。藤田重利は1555年に亡くなりますが、1560年に上杉謙信が北条打倒を掲げ、関東を席巻した際に参陣した武将に、藤田氏と猪俣氏の名前が残されています。
 藤田一族の一部が、北条に反旗を翻したのです。藤田氏は、防御性の低い用土城に入り、抵抗の意思の無いのを示しつつ、実は、事あるときに猪俣城に籠って抵抗する用意をしていたのかも知れません。


 後半へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」








 
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Comment
Re: 藤田吉信
武様。ご来訪有り難うございます。
藤田信吉は、マニアの興味を惹きつける魅力がありますよね。
一見、意地だけで生きていそうで、
現実へドライに適応する部分もあり・・・
藤田信吉が、真田昌幸と和した際に在城した沼須城を今度、
訪れたいと思っています。

> こんにちは
>
>  なぜ北条家に居た藤田吉信が、
> 上杉景勝の家臣になったのかが分かったような気がしました。
> 元々、関東菅領・山内上杉家の家臣だった藤田重利の息子だと想定しました。
> そして、上杉憲正から関東菅領を引き継いだ長尾上杉家(謙信)の二代目・景勝に下って正位置に戻ったんだな、と思いました。
>
>  勉強になりました。有り難うございました。
藤田吉信
こんにちは

 なぜ北条家に居た藤田吉信が、
上杉景勝の家臣になったのかが分かったような気がしました。
元々、関東菅領・山内上杉家の家臣だった藤田重利の息子だと想定しました。
そして、上杉憲正から関東菅領を引き継いだ長尾上杉家(謙信)の二代目・景勝に下って正位置に戻ったんだな、と思いました。

 勉強になりました。有り難うございました。
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