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石神井城② ~ 太田道灌の罠

 石神井城の第二話です。

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 本郭の堀と土塁のみが残存遺構です。しかも、遺構保全の為、「立ち入り禁止」となっていました。
 きまりは守らなくてはナリマセン。
 柵を乗り越えたい衝動を抑えるために、本郭を立ち去り、周囲の徘徊を始める私なのでした。


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 2時間の徘徊と地形観察により肥大化した妄想の産物です。
 三宝寺池と、石神井川に挟まれた、帯状の台地に築かれたイメージだけ、感じ取って頂ければ幸いです。

 さて、上杉氏の危機に立ち向かったのが大田道灌です。
 この頃は、関東管領山内上杉氏とそれを補佐する扇谷上杉氏が並び立っていました。
 太田道灌は、扇谷上杉家の執事でした。


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 道場寺郭(左)と城外(右)を区画してた堀であったろう道路です。

 長尾景春蜂起のさい、大田道灌は駿河にいました。
 道灌は、まず、相模に入り、長尾景春方の拠点「小机城」を制圧します。
 この際、道灌が味方を鼓舞する為、和歌をつくったとの伝説があります。
 「小机は、まず、手習いの始めにて、いろはにほてと、ちりじりとなる」


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 先ほどの道路とクロスする形で、「所沢街道」の表示があります。
 石神井城が、主要な街道を押さえる立地であったことがわかります。


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 これが「所沢街道」です。塁壁っぽい地形がかすかに残っています。

 小机城を落とし、後顧の憂いを取り除いた大田道灌は、居城である江戸へ入り、作戦を練ります。


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 所沢街道のすぐ南には「石神井川」が、流れています。
 今は一直線ですが、往時は台地に沿って湾曲していたと想像します。

 さて、大田道灌は考えました。
 豊島氏は、石神井城や練馬城に籠って抗戦の構えだ。
 城攻めには、3倍の兵力が必要だが、兵力はほぼ同しだ・・
 まともに城攻めをしてはいけない・・・
 そうだ、罠をしかけよう・・・

 最終話へ続く・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 


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