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東京都石神井城① ~ 豊島氏蜂起

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成22年3月某日、石神井城に行ってきました。


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 石神井城は、西武池袋線「石神井公園駅」から、徒歩20分ほどです。
 都心へ出張の日でしたが、早起きをして、途中下車です。
 西武池袋線は線路を増やす工事の真っ最中でした。


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 石神井公園です。池にボートが浮かんでいます。
 娘が小さかった頃、友人家族と遊びに来たのを思い出します。
 もう、10年以上前ですね。


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 石神井公園は、大変細長い公園でして、先ほどの写真からかなりの時間歩きます。
 城跡は、あの橋の左側です。


 さて、石神井城は豊島氏の城です。
 豊島氏は、秩父平氏の流れを汲み、平安時代からこの地に根を張りました。
 石神井城の築城は、鎌倉時代の後期と推定されるそうです。


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 橋の上から石神井城を撮影しました。
 遊歩道の左は堀で、堀の左側が本郭、右側が神明郭(仮称)です。

 室町時代になると、川越氏とともに「平一揆」を形成し、「足利尊氏体制」支えます。
 しかし、足利尊氏が亡くなり、上杉氏が関東管領として赴任すると一転して、弾圧の対象とされてしまいます。
 1368年「平一揆」は、反上杉で挙兵しますが、敢え無く敗退、川越氏は滅亡、「平一揆」の面々も所領を削られてしまうのでした。
 詳しくは、「川越氏館」全三話をご参照下さい。


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 1380年には小山氏、1387年には小田氏と「反上杉」の蜂起は続きました。1438年には、関東管領の上司に当たる「鎌倉公方」までもが、「反上杉」の兵を挙げますが、「関東管領上杉氏」は、京都の幕府を味方にして、上司である「鎌倉公方」を攻め殺してしまいます。
 「反上杉」の怨嗟の声は関東に渦巻き、1440年、結城氏が鎌倉公方の遺子を奉じて挙兵し、1年に渡る抵抗を続けます。
 その後復活した「鎌倉公方足利成氏」は、1455年「反上杉」の兵を挙げるも利あらず、鎌倉から古河へ動座。1476年には、関東管領山内上杉氏の重臣であった「長尾景春」までもが「反上杉」の兵を挙げ、石神井城主「豊島泰経」がこれに呼応すると、武蔵の国衆はホトンドが、「反上杉」の旗に身を投じたのでした。

 太田道灌の罠に続く・・・

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