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川越氏館② ~ 守護剥奪

 川越氏館の第二話です。

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 館のいっかくに、塚状の盛り上がりがあり、石積で覆われていた・・と、記されています。

 さて、「足利尊氏」体制確立に尽力した「川越氏」は、わが世の春を謳歌します。

 足利尊氏は、次男の足利基氏に鎌倉府を任せます。
 足利尊氏は、1358年、この世を去ります。

 南北朝の騒乱が長引き、足利基氏の執政「畠山国清」は、関東の軍勢を率いて西国へ・・・
 ところが「畠山国清」は、南朝をさておいて、味方であるはずの北朝二木氏と主導権争い・・
 1360年、あきれた関東衆はつれづれに帰国・・・
 「畠山国清」は、帰国した国人衆の粛清を企てます。逆怨み?


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 石で包まれた塚は祭祀的な象徴ではなかったか?との解説がなされています。
 
  1361年「畠山国清」の横暴に「足利尊氏」体制を支えた関東衆は猛反発!
  団結して「畠山国清」の執事職罷免を要求!
 鎌倉公方「足利基氏」は、「この者どもに背かれたならば、東国は、一日も無事ではありえない。」とし、我が身可愛さに、寵臣「畠山国清」を執政から罷免します。


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 井戸跡の掲示があります。

 「畠山国清」は、罷免を受け入れ、恭順の意を示し、伊豆の修善寺に隠遁します。
  ところが1362年「尊氏党」の面々はこれを許さず。兵を差し向け、「畠山国清」を伊豆から追い落としてしまいました。


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 ことここに至り、「鎌倉公方足利基氏」は、危機感を強めたのでした。
 亡き父「足利尊氏派」の団結力は凄まじい。私は寵臣を見殺しにせざるを得なかった・・
 次は私が葬り去られる番だ・・・

 「足利基氏」は、亡き父「足利尊氏派」の力をそぐ為、亡き父の弟「足利直義派」の上杉氏を関東管領として呼び寄せました。


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 史跡公園で発掘された堀と、奥の道路のラインが一致している・・・の写真です。
 道路は往時堀だった場合が多ことの査証となりましょうか?

 不遇を囲っていた上杉氏は久々の抜擢に小躍りし、「尊氏派」の足をずるずると泥沼へ引きずりこみはじめます。

 以下「尊氏派」粛清の記録です。

 上野守護「宇都宮氏」解任。上総守護「千葉氏」解任。安房守護「高南氏」解任。
 そして、「相模守護」川越氏解任・・・ 何の落ち度も無い解任の連続に「尊氏派」はイキリタツノデシタ・・・

 川越氏・挑発に乗る! へ、続く・・・

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