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甲斐小山城 ~ 鳥居元忠見参!

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成22年1月23日に、甲斐小山城に行ってきました。

a小山アク

 山梨県笛吹市八代町高家にあります。
 中央自動車道、一宮御坂インター南西約2キロです。


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 なだらかな傾斜地に位置する単郭の方形館です。小口の脇に看板があります。

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 看板には・・・

 1523年、小山城には穴山氏がいたが、鳥坂峠を越えて南部氏が攻め寄せた。穴山信水は、花鳥山で戦った後、小山城にて防戦したが、利あらず自害して果てたと記されています。南部氏は、南北朝の終焉と共に一族を上げて奥州へ移り住んだといわれています。また、その2年前の1521年には、駿河より侵入した福島正成の大軍に勝利した武田信虎により、甲斐はほぼ収まったはずですので、看板の記載には疑問が残りますね。


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 小山城は、その後捨て置かれていましたが、天正壬午の乱で再興されました。

 武田家が滅び、織田信長が本能寺の変に倒れると甲斐は無主の地となり、駿河から徳川家康が進出し、甲府盆地を制圧します。
 一方、小田原北条氏は甲斐南東部の郡内地域を制圧、更に主力軍は碓氷峠から信濃へ侵攻、佐久を制圧し、甲斐北西部の若神子城に兵を進め、徳川軍の挟撃を図ります。


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 私は土塁の上を歩くのが大好きです。

 徳川家康は、主力を新府城へ進め、若神子城と対峙、一方、郡内から御坂峠を越えて攻め寄せる北条軍に対抗する為、小山城に鳥居元忠を派遣します。
 鳥居元忠に与えられた兵は、騎馬1300、雑兵600の合計、1900人、対する御坂峠の北条軍は5倍の1万。
 鳥居元忠は、小山城の堀を広げ、土塁を高くし、防備を固めます。


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 南側には腰郭が付属しています。

 1582年8月12日、北条軍は御坂峠から甲府盆地へ乱入、決戦の火蓋が切って落とされました。
 鳥居元忠は、小山城で防戦するのを潔しとせず、黒駒まで討って出、北条軍を撃破します。
 5倍の大軍を野戦で撃破! 鳥居元忠の猛将ぶりが伺えます。


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 南東の城外から模擬隅櫓を見上げました。比高二重土塁になっているのが見て取れますでしょうか?

 徳川軍は、新府方面でも若神子城の支城を次々と陥落させ、根を上げた北条は、「甲斐・信濃は徳川」「上州は北条」という、徳川に圧倒的に有利な条件での和睦に応じざるを得ませんでした。


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 北条軍が籠った御坂峠の御坂城が見えます。

 鳥居元忠は、徳川家躍進に大きな貢献をしましたが、後の関が原では、大垣城を守り、城を枕に討ち死にしてしまうのでした。18年後のことでした。

 ホームページ 「土の城への衝動」


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