FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  山梨県南部城山④ ~ 武田親族衆

山梨県南部城山④ ~ 武田親族衆

 南部城山の最終話です。

m_20100117122051.jpg

 細かい帯郭は沢山ありますが、尾根筋の遮断は曖昧です。
 戦国後期に使われていた感じはしませんね~


m 069

 図の右側の方に進んでいくと・・ 土橋です。
 写真の中央から、右上の方向に伸びています。

 さて、戦国初期、駿河からは今川氏が繰り返し侵入し、穴山氏は、その度に屈服するか、避難せざるを得ませんでした。穴山家は、今川派と武田派に別れ、内紛に突入します。
 その混乱に乗じ1521年、今川の重臣、福島正成は1万5千の兵を率いて、甲斐を席巻します。


m 070

 図、右側の尾根を進んでいくと、古城と呼ばれる空間があり、土塁が残っています。

 甲斐の当主、武田信虎(信玄のお父さん)は、2千の兵で福島軍を撃破します。
 武田信虎の求心力は高まり、諸将はこぞって、信虎に頭をたれました。


m 072

 尾根を、図、左のほうに引き返すと最高所に本郭があります。標示はありません。

 穴山家武田派の穴山信綱は、武田信虎の力で、穴山家の当主となりました。
 武田信虎は、家臣一同を引き連れて、穴山氏の所領にある「身延山久遠寺」を参拝し、同地の支配者となったことを世の中に知らしめました。


m 073

 図、本郭の左奥にも郭は続いています。

 穴山信綱の子、穴山信友は、武田信虎の娘を妻に迎え、武田家中での地位を磐石なものとしていきます。
 穴山信友と、武田信虎の娘の間に生まれたのが、穴山信君でした。
 穴山信君は自らが武田の血をひいていることを強く意識したことでしょう。
 このことが、武田家滅亡時の裏切り・・・ 自らが武田家を再興する!・・に、つながったと思われます。


m 074

 尾根の先端からは、急な落ち込みとなっており、ここまでが城域だと思われます。

 下りには、道がついていました。正しい侵入路はこちらだったようです。


m 076

 下りきると、舗装道路があり、駐車場もあり、南部城山ふるさと公園の看板もありました。

 最後に確認です。正しい侵入路は、妙浄寺と南部中学校の間の道を進みます。

 道は中学校を過ぎたあたりで、左に曲がります。更に進むと右に折れ、山間にはいると左側に駐車場があります。

 ここに車を停め、道を挟んで向かい側、北側の尾根筋を探すと、登山道があります。

 私達のように、妙浄寺の裏を直上しないようにしましょう!

 ホームページ 「土の城への衝動」

 
スポンサーサイト



Comment
なんとも
リンクのリンクの中に写真付きレポートがありました。やはり武田の前衛拠点の城下らしく、300メートル進んでもまだ続くから引き返したとありました。
東北の歴史、教えて欲しいもんです…
Re: 信虎公が
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 南部氏の歴史は相反する資料があり、真実にたどり着くのは難しい気がします。
 歴史は勝者が造ります。
 南部に一戸から九戸までわかれており、その他に地域連携領主があり、緩やかな
連合体であったのですが、豊臣政権下で三戸南部が圧政を強行し歴史を塗り替えて
しまいました。
 東北は未だに中世の価値観が維持されており・・・
 これ以上申し上げると・・・ 何かと支障が生じるので・・・
信虎公が
南部まで来て今川と戦ったんですねぇ
ロマンです。
駿河国境といえば、樹海の中に忽然と石積みがあるようですが、五遁さんは何と見ますか? ミステリーです…
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード