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群馬県岩下城③ ~ 真田幸隆の調略

 岩下城の第三話です・・・

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 1563年、各方面で上杉謙信の勢力をそいだ武田信玄は、真田幸隆に岩下城攻略を命じます。

 真田軍団は、総勢2500!
 真田信綱(嫡男)、武藤昌幸(三男)、鎌原親子(北軽井沢)、西窪治部(北軽井沢)、湯本善太夫(草津)、横矢左近(長野原)、浦野義見斎(信濃小県)・・・

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 ?郭、手前の塁壁と堀です。

 真田軍団のうち、沼田・白井の上杉方への押さえとして暮坂峠に、真田信綱などを・・・
         大戸口の押さえとして武藤昌幸、矢沢綱隆(親族衆)を派遣し・・

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 ⑧の郭です。奥に大堀切を隔てて、本丸土塁が見えます。

 真田幸隆は、既に岩下城へ調略の手を伸ばしていたのでした。
 斉藤方として、城にこもっていた、斉藤弥三郎と海野兄弟は城主の館に火をかけ、真田勢を引き込みます。

091121 050

 ⑧の郭右側の堀切を見下ろしました。

 城主越前守は、もはやこれまでと腹を切ろうとしましたが、嫡子憲宗はこれを諌め・・
「ここは私が防ぎますので、父上は越後の謙信公の下で再起をはかってください!」

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 図⑩のあたりから、⑨・⑧方面を写しました。段々になっています。

 斉藤越前守は、小勢とともに城を脱出して、嵩山城へ向かおうとしましたが、真田勢が展開していた為、果たせず。

 高野平から越後へ落ちていったとのことです。(高野平にも城があります。)

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 大堀切の堀底です。規模が大きすぎてフレームに収まりきれません。

 真田幸隆は、斉藤氏の本城岩下城の奪取に成功しました。
 斉藤憲宗は、どうにか嵩山城に入り、真田への抵抗を続けました。

 そこで真田幸隆は、嵩山城と四万川を挟んで起立する岩櫃山麓に、新城を築き、高山城攻めの拠点とします。

 091121 057

 大堀切を渡り、本丸に至り、西へ一段下がった郭には神社が建てられています。

 巌櫃城の普請により、吾妻地区の政治・経済の中心は、岩下城から岩櫃城へと移ったのでした。


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