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群馬県岩下城② ~ 一城別郭の典型

 岩下城の続きです・・・

iwasita.jpg

 岩下城の縄張りは一城別郭の典型とされています。
 一城別郭とは、城の中心を大きな堀切で遮断し、片方が失落しても、もう片方で持久しようとする防御構想です。

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 図②か③の腰郭です。現状の削平は不明瞭ですが、奥の方の面積が広く、兵士の駐屯が可能であったと思われます。

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 道無き尾根筋を登っていきます。

 中之条歴史民族資料館・館長唐沢定一氏著「たけやま」によると・・
 戦国期、岩下城には斉藤氏がおり、上杉謙信の関東進出のさい、その幕下に参じた。
 その立場は、吾妻武士団の筆頭としてのものであり、吾妻武士団は筆頭である斉藤氏の本城・岩下城にちなんで「岩下衆」と呼ばれたとのことです。1560年のことです。

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 図④の石済み遺構です。二つの尾根が合流する地点なので、強固な防御を欲したのでしょう。

 武田信玄は、上杉謙信の強大化に危機感を強め、謙信の関東への進出口の北上州を押さえるべく、真田幸隆に同地の攻略を命じます。

 1561年には、第四次川中島合戦で上杉謙信にダメージを与えると共に、南上州の国峰城を奪取!

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 図⑤の段郭が下っている写真です。

 1562年には、中上州の諸城を席巻して、武蔵松山城を攻囲します。北条氏康の軍も加わり、総勢5万を数えたとのことです。
 1563年2月に松山城は落城・・・
 同年10月には、真田幸隆による岩下城攻めが開始されました。

 真田幸隆の知略へ続く・・・


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