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茨城県片野城⑥ ~ 秀吉に謁見

 片野城の第6話です・・

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 佐竹を筆頭に、北条氏への抵抗を続ける反北条連盟ですが、
 上杉謙信が亡くなり、武田家が滅び、織田信長が本能寺に倒れると状況は一変します。

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 ⑦の郭から⑨の郭へと続く土橋です。左右に堀があるのですが、ヤブでわかりにくいですね・・・

 関東は北条の独壇場となります。
 北条は上州の諸将を配下に治めると佐野氏、皆川氏、壬生氏、日光軍団、宇都宮氏までも屈服させます。

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 ⑨の郭の突端です。

 北からは、北条氏と連携した伊達政宗が南下し、佐竹と連携していた芦名氏二階堂氏を滅ぼします。
 反佐竹連合は、絶体絶命のピンチを迎えました。

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 ⑦の郭と⑨の郭の北東にある帯郭を下るMさんです。
 規模の大きさが伝わるでしょうか?

 反北条連盟にとって、救いの神となったのが豊臣秀吉です。
 秀吉は北条討伐の軍を発し、反北条連盟の諸将は、これに参陣します。

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 左が⑧の郭の塁壁、中央が堀ですが耕作により埋められてしまっています。

 「関東古戦録」によると・・・
 佐竹義重親子が小田原在陣の秀吉に服従した時、太田三楽斎が佐竹の手に属して、その領内に在住していることを聞き、秀吉が「有名な老武者なので面会したい。」と申し入れた。

 佐竹義宣が三楽斎を早速召し寄せてその旨を告げると、秀吉は陣中に招き寄せて対面し、「老いて大儀であるが、遠路よく参った。」と感じ入って、着用していた陣羽織を脱いで即座にこれを与え、丁重にもてなした。

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 右⑧の郭の突端です。

 数刻雑談した後、秀吉が小田原攻めについて「天下が収まるか否かはこの戦いにある。たとえ、味方が手負い、死者が何人出ても、必ず北条家を根狩りにする。」と言ったのに対し、三楽斎は「それは猪鹿懸かりと言う。立派な大将のやることではござらん。」と、応えたので、秀吉は機嫌を損ねた・・・と、のことです。

 常に勢力の大きなものに反発してきた三楽斎にとっては、秀吉も反発の対象だったのでしょうか?

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 ①の郭の北西の腰郭? 土塁? を見上げました。

 太田三楽斎は、北条の滅亡を見届けると、翌年片野城にて逝去しました。
 享年69歳と言われています。
 北条と戦うことに生涯を費やした太田三楽斎にとって北条の滅亡は、生きる目的の喪失だったのかもしれません。

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 北側から⑨の郭を遠望しました。低湿地に突き出している地勢を感じ取っていただけますでしょうか?
 佐竹氏が秋田に移封されると片野城には、伊勢神戸城から滝川雄利が入りました。
 図④の馬出しなどは、この時期に造られたものと推察します。

 ホームページ 「土の城への衝動」

 





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