FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  要害山城⑤ ~ 武田勝頼・再普請

要害山城⑤ ~ 武田勝頼・再普請

 要害山城の最終話です。

要害2

 イメージ図を作成しました。
 図、左側から攻めていくと、土橋があり、その先には塁壁があります。
 狭い土橋で停滞する敵を塁壁上からの射撃で殲滅しようとする意図です。
 また、塁壁の脇に門を設け、石垣で補強しています。
 門を通過しようとする敵は、塁壁上からの攻撃にさらされます。

9111 083

 イメージ図、土橋(一)から写しました。
 左が塁壁で、Kさんの立っていらっしゃる場所が門跡、右側は急傾斜で落ち込んでいます。

 1573年、武田勝頼が武田家第20第当主となります。
 始めは調子が良かったのですが・・・

9111 082

 門跡は、この様に石積みでカタメラレテイマス・・・

 1575年、長篠の戦いで、織田・徳川連合軍に大敗・・・
 勝頼は、本拠甲斐への敵の侵入を想定し、要害山城の再普請を命じます。
 搦め手の強化はこの時に行われたものと思われます。

9111 081

 石積みの横には「竪堀跡」の表示があります。
 敵の迂回を防ぐ為、門や土橋は竪堀とセットになっています。

 一度は、信虎以来の本拠であるこの地での防衛の意志を固めた勝頼ですが、気が変わり、新たに韮崎の地へ「新府城」を築きます。
 この決断が、勝頼暗転の最終ポイントでした。

9111 080

 深い竪堀は延々と下っています。

 甲斐国人の精神的支柱である古府中を捨てる決断に、親族衆は大反発!
 要害山城再普請の財政的負担を強いながら、これをアッサリと捨て・・・
 更に新府城普請の更なる、過酷な財政負担・・・

9111 079

 イメージ図、土橋(三)です。
 竪堀が食い込み、湾曲しています。
 これも敵兵の侵入速度を低下させる工夫です。

 木曽氏が寝返ると、穴山氏も・・・
 両家とも親族衆です・・・

9111 078

 土橋(三)の上から本郭方面を撮影しました。
 土橋の先には必ず、塁壁があります。

 勝頼は、新府城を捨て、古府中の近くまで来ますが、この要害山城に入ることはアリマセンデシタ。
 郡内の岩殿城を目指しますが、岩殿城主の小山田氏に裏切られ、天目山に自害します。

 武田家の、詰城「要害山城」は、その防御力を一度も発揮することなく、廃城となったのでした。

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード