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山梨県要害山城② ~ 武田滅亡の危機

 要害山城の続きです。

要害山

 イメージ図を作成しました。
 画像処理ソフトを変更して、イメージ図がそれなりに表現できるようになり、感慨ひとしおです。
 こんな、イイカゲンな図でも、3時間かかっているんです・・・
 三時間かけた図が、きちんと標示されないのは悲しかったです。

9111 061

 その小口Zか、小口Aか、記憶が・・・ を反対側から撮影しました。 
 澄んだ心で見つめると、そこには城門が・・・ 見えた方は、ロマンの心の持ち主です。

9111 064

 イメージ図の何処だったか忘れてしまいましたが、見事な石積みです。
 小口の両側は石積みでカタメラレテイマス。

 1520年、武田信虎は、新たな本拠「躑躅ヶ崎館」と、詰城の「要害山城」を完成させ、家臣たちへ、その周辺への居住を命じます。甲斐の国、中央集権体制の確立の為の政策でした。

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 イメージ図、小口Bです。

 翌1521年9月、駿河の今川家は、福島正成を総大将に、1万5千の兵で、甲斐へ侵攻します。
 対する、武田家は、2千。7分の1以下です。
 今川軍は、瞬く間に甲斐西部を席巻します。
 しかし、武田信虎はあわてませんでした。彼はこの日に備えて、歴戦の浪人衆を多く抱えていたのです。

9111 067


 イメージ図、小口Cの下にある郭です。

 10月に入ると、今川軍は武田の本拠、躑躅ヶ崎館に迫りました。
 武田信虎は、要害山城の守備を駒井昌頼に命じ、身重の夫人を要害山城へ移します。

9111 068

 イメージ図、小口Cです。

 武田信虎は、躑躅ヶ崎館の西約6キロの龍置台に布陣、飯田河原にて今川軍を破りますが、今川軍の損害は大きくアリマセンデシタ・・・ 劣勢には変わりは無く・・・・

 武田信玄誕生へ続く・・・

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