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天目山栖雲寺 ~ 勝頼が目指した場所

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成21年11月1日、お城仲間のKさん&Mさんと栖雲寺に行ってきました。

栖雲寺アク

 栖雲寺は、山梨県大和町木賊(とくさ)にあります。

9111 022

 1318年に、元へ渡り、修行を積み帰国した業海本浄禅師が、武田家の招きに応じ、1348年に開山した禅寺であるとのkとです。

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 禅僧の修行の場として使われたとされる石庭があります。

 時は移り、1416年、武田家第13代当主、武田信満がこの地で非業の最期を遂げます。

 その経緯は・・・
 鎌倉公方足利持氏が、室町幕府への反逆を企てます。
 関東管領上杉禅秀はこれを諌めますが、かえって、誅されそうになります。

9111 025

 石庭から見下ろした石庭会館です。

 室町幕府は、上杉禅秀を支持したため甲斐の守護武田信満は、禅秀側につきます。
 禅秀軍は、鎌倉府を占拠し、公方持氏は駿河へ逃亡・・・
 ここでナント! 室町幕府は、持氏にお灸を据えたことに満足したのか、持氏を養護!
 禅秀は反乱軍として、処断されてしまいます。
 武田信満も同罪として、追討を受け、この地で自害します。
 幕府の意向に添っただけなのに・・・
 さぞや、無念であったことでしょう・・・

9111 020

 時は移り・・・
 戦国末、1582年、武田家第20代当主勝頼は、織田信長の追討を受け、この地の約3キロ南まで落ち延びてきました。勝頼は13代信満の眠る栖雲寺で腹を切りたいと、この地を目指しますが、織田軍に追いつかれ、この地に立つことなく永遠の眠りに着いたのでした。

 勝頼も、この富士を眺めたかったであろうに・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: ですね!
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 岩櫃城で織田勢を翻弄する真田昌幸・・・ 武田・真田ファンの夢ですね。

 設楽原は謎が多すぎますね・・・ 長篠城を我攻めして、豊川を盾に対峙していれば、織田・徳川連合は手も足も出なかったはずなのに・・・
ですね!
妄想しますね!上田で徳川にぶちかました様なことができたでしょうか!信玄と同じ様に見ていたでしょうか。
いつも何故長篠城を背にして全軍前進させたのかに行き着いてしまいますが、歴史のイフは話が尽きません!
Re: 禅秀の乱とは
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 今も昔も権力者のご都合主義に振り回される周囲の者たちは、たまったものじゃありません。

 景徳院へ行かれましたか?

 風情のある景観が保たれていて、武田家を偲ぶ者たちの心を癒してくれますよね。

 勝頼さんも甲斐を捨てることが出来なかったんですね。

 岩櫃城に行っていたら、歴史はどうなっていたことでしょう・・・
禅秀の乱とは
そのようなものだったのですか…甲斐まで巻き込まれていたんですね。景徳院までは行っていたのですが勉強不足でした。
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