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神奈川県河村城② ~ 北条流畝掘

 河村城の続きです。

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 茶臼郭の柵から身を乗り出して、小郭との間の畝堀を撮影しました。
 畝堀は、戦国後期の北条氏の城に多く観られます。

カラープレビュー
 さて、南北朝ストーリーに戻ります。
 南朝方として、上州にて力を蓄える新田義興ですが、北朝方の謀略にかかり・・・
 畠山国清退治の打ち合わせをすべく、多摩川を渡る事に・・
 多摩川の矢口の渡しで「舟底に細工をした舟」に、乗せられ・・・
 沈み行く舟の上で、騙されたことに気づいた新田義興は、
 刀を抜き、左の脇より右のアバラ骨まで掻き回して・・・
 「七生マデ汝等ガ為ニ恨ヲ報ズベキ者ヲ・・・」と、絶命したとのことです。

 91017 047

 本城郭です。広いです。

 新田氏の没落により、河村城の畠山国清も安泰かと思われましたが・・・
 翌年、京都周辺で南朝方の不穏な動きがあったため、畠山国清は関東勢を率いて、京都へ向かいました。

91017 046

 立派な城址碑があります。

 関東勢は、南朝への抑止にはなりましたが、倒滅にはいたらず、遠征は長期化・・・
 遠征が1年に及ぶに至り、費用が枯渇し帰国してしまう武将が続出しました。

91017 048

 本城郭から、小郭・茶臼郭を写しました。

 畠山国清は、帰国してしまった武将の領地を没収する等の過酷な措置をとります。
 遠征で持ち出しをした上に、領地の没収は理不尽であると関東の武将達は、鎌倉公方に集団直訴しました。

91017 049

 本城郭の柵から身を乗り出して、小郭との間にある畝堀を撮影しました。
 敵が、畝にはまって身動きできないところを射撃しようとした工夫です。

 鎌倉公方は、アッサリと、畠山国清を見捨て・・・ (公方も我が身が可愛かった?)
 諸将の怒り任せの行動を統制しなかった為、畠山国清は河村城を支えることができなくなり、伊豆に逃亡、伊豆からも落ちて、奈良で野垂れ死にとなったそうです。

 戦国期へ続く・・・ ホームページ 「土の城への衝動」
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