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埼玉県難波田城(1) ~ 歌合戦の智将

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成21年9月20日に、難波田城に行ってきました。

難波田アク

 難波田城は、埼玉県富士見市下南畑にあります。
 国道463号を所沢から浦和方面へ進むと、荒川を渡る前に標示が現れます。
 標示にしたがって進むとスグに着きます。

IMG_3193.jpg

 城址公園として整備され、駐車場完備、歴史資料館もあります。
 武蔵七党のひとつの金子氏の子孫が鎌倉時代にこの地を与えられ難波田氏を名乗ったのが始まりだということです。

IMG_3183.jpg

 資料館内には、難波田城の復元模型などが展示されています。

 戦国時代になると、難波田家当主、難波田善銀が、扇谷上杉家の重臣として活躍します。

 IMG_3184.jpg

 城門が復元されています。

 栄華を誇った扇谷上杉氏ですが、小田原北条氏が北上を始めると、次第に圧迫されるようになります。
 1538年、現在の入間アウトレット付近で、両軍は激突! 扇谷上杉氏は大敗を喫します。

 難波田善銀は、幼い主君、扇谷定正を本拠の川越城から撤退させ、松山城へと籠ります。

 北条氏政は、松山城へ進撃、難波田善銀は城から打って出て、北条軍を迎え撃ちます。

IMG_3192.jpg

 しかし、北条軍の勢いは強く、難波田善銀は松山城への撤収を図ります。
 この時、北条軍の中山主膳が、和歌で問いかけました。

 悪しからじ、良かれとてこそ、戦はめ、など難波田の崩れ行くらん
(悪くはならないだろう、良くなるはずだと考えて出陣したのでしょう? それを何故撤退すのですか?
 まるで田んぼが崩れるようですよ)

 難波田膳銀は、風雅にも和歌にて返答しました。

 君おきて、あだし心を我持たば、末の松山、波も越えなん
(幼い主君を残して、私が武士の意地だけで討ち死にしたら、松山城は、北条軍の波に飲み込まれてしまうことでしょう、それはあってはならないことです。)

 中山主膳は、この返歌に感じ入ったとのことです。

IMG_3185.jpg

 水掘や土塁が復元されています。

 難波田膳銀、執念の逆襲へ続く・・・

 ホームページ「土の城への衝動」
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