FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  長野県・伊那大島城(3) ~ 武田築城術の粋

長野県・伊那大島城(3) ~ 武田築城術の粋

大島城の続きです・・・
image648623.jpg
三の郭の防御には、幾方向からも伏兵が出せる大島城ですが、本郭では、側面に小口を設けるだけです。

 本郭だけになれば、城兵の人数は少なくなり、疲労も増していることを計算し、郭内に逼塞し、ヒタスラ持久し、援軍を待つ、防御構想です。

 同時期に改修を受けた、静岡県の諏訪原城も、同じような構造になっています。

ina 024

 右が本郭、左が二の郭です。堀が広大すぎてカメラに収まりきりません。

 1569年、武田信玄は駿河を完全に制圧し、遠江へ触手を伸ばします。

ina 025

 堀を図、左側に下っていくと土塁に囲まれたスペースがあり、枡形ではないかと、推察します。

 1569年以降、武田軍は伊那を経由して、遠江・三河への侵攻を繰り返し、

大島城は、その兵站基地として拡張されました。

ina 026

            井戸も土塁に囲まれていました。

 1575年、武田信玄の跡を継いだ、武田勝頼が長篠で大敗すると、武田の勢いは縮小し始めます。

ina 030

         本郭に出ました。5~6百人は籠れそうです。

 1581年、遠江の高天神城が落城すると、武田の東海戦線は崩壊し、家康は駿河へ侵攻します。

ina 032

 大島城は、武田による伊那支配の拠点から、駿河侵攻の兵站基地と役割を変えてきましたが、東海戦線の崩壊により、織田・徳川連合軍を迎撃する役割を課せられる事になりました。

 現在の大島城の遺構が完成したのは、武田家滅亡直前であったと思われます。

 1582年、武田方木曽氏が織田へ寝返ります。

ina 029

       大島城の裾を洗う天竜川です。

 織田軍は木曽を経て諏訪へ、別働隊は南から伊那に侵攻し、大島城から目と鼻の先の飯田城を陥落させます。

 北と南に30倍以上の織田軍を迎え、援軍を見込めない大島城は戦うことなく自落・・・ 

 武田流築城術の粋を集めた大島城は、その戦闘力を発揮することなく廃城となるのでした・・・

 武田ファンとしては・・・ 悔しいです!

 ホームページ「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Re: 信廉では…
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 武田ファン的には、大島城で抵抗して欲しかったですね。
 親族衆でありながら・・・ 城を捨てて・・・
 やはり、武田家内部での感情的不具合があったのでしょうね・・・
信廉では…
高遠と連携して、数ヶ月戦線を長引かせられたら…ただ財も兵も信忠の敵ではなかったでしょうね
武田ファン的には非常に残念です。本丸で最後まで抵抗して欲しかった。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード