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群馬県後閑城① ~ 巨大竪堀×3

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成21年5月31日に、後閑城に行ってきました。

 

後閑アク

 後閑城は、群馬県安中市中後閑と下後閑の接点にあります。後閑小学校の裏山です。

 

IMG_2201.jpg

 

         多くの地図に載っていますし、表示もあります。

 

IMG_2203.jpg

 

 駐車場もありますし、トイレもあります。芝生公園として整備され、初心者にオススメです。群馬の先人の話によると、公園整備工事の過程で、土塁や小口などが破壊されてしまったとのことです。残念ですね。

 

gokan.jpg

 この城の特徴は、3本の巨大な竪堀です。

 

 元々は、本郭から物見?までの尾根を、順々に掘り切っただけの、連郭式の山城だったと思われます。

 

 その後、駐屯地を増やす為に、西、南、東の尾根を城域に加えた・・・

 

 すると東西南北どの方向からでも攻め登ることが出来る、防御性の低い城になってしまった・・・

 

 そこで、竪堀3本を追加し、北側を切り離した・・・ 妄想です。

 

 図西一郭は、二の郭。西二郭は三の郭の誤りです。スミマセン。

 

IMG_2206.jpg

 

                   南郭です。

 

 戦国期の後閑城の記録を紹介します。

 

 1556年、新田信純が後閑城を所領した。

 

 1552年に、関東管領上杉憲正が、越後に逃れていますので、1556年当時この地域は北条氏康が、支配していました。新田信純が後閑を所有するにあたっては、北条氏康の差配もあったことでしょう。

 

IMG_2209.jpg

       本丸方面への道は、この様に整備されています。

 

       この道は、巨大竪堀のうち、一番南側のヤツです。

 

 1560年に、上杉謙信が関東管領の座を譲り受け、関東に管領の秩序を取り戻すべく、出兵すると、上州の武将の多くは、謙信の傘下へとはせ参じたのでした。

 

IMG_2210.jpg

                   西三の郭です。

 

 上州の諸将が謙信へ馳せ参ずるなか、後閑城の新田信純と、国峰城の小幡信実は、それを潔しとせず、城を落去して、武田信玄へ身を寄せます。

 

 何故、北条氏康ではなく武田信玄だったのでしょうか?

 

 信玄は、北条氏康と同盟を結びながら、裏で北条家の領国に手を伸ばしていた・・・ 狸ですね・・・

 

IMG_2211.jpg

       

                  西二の郭です。

 

 謙信が、この地を治めていた頃の城主に関する記録はありません。おそらくすぐ南の安中氏に与られいていたと、思われます。

 

 

IMG_2204.jpg

 

               本郭はもうすぐです。

 

 後半へ続く・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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