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茨城県多良崎城② ~ 南朝方の保塁

 多良崎城の続きです・・・

 

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      三の丸は、削平されているだけで、土塁などはありません。

 

 南北朝期、かの有名な「楠正成」の弟、楠正家が北茨城の瓜連城に入り、南朝方の拠点とします。南西茨城の小田城も南朝の拠点となり、北畠親房が入城、神皇正統記を記したことは有名です。

 

 多良崎城は、南朝方に属していたと推察されます。

 

 

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 この城の構造の特徴・・・ 本丸の内側に堀がある・・・ これも珍しいです。

 

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          右三の丸、中央堀、左が二の丸土塁です。

 

  北茨城における北朝方は、佐竹氏でした。こちらもかの有名な「高師直」の従兄弟、高師冬が参戦し、激戦を繰り広げます。

 

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              二の丸に入りました・・・・

 

 南朝方の瓜連城が落城するとほぼ、同時期に多良崎城も落城したと想像されています。

 

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                土塁に囲まれています。

 

 この地域での、南朝方が壊滅すると、多良崎城には、北朝についた江戸氏の親族が入り、足崎氏を名乗ったそうです。

 

 現在も足崎の地名が残っています。

 

IMG_2262.jpg

 

             本丸には、屋形跡の表示が・・・

 

   足崎氏は、あくまでも江戸氏の配下としての立場であったようです。

 

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        本丸東側の小口には大手門の表示もありました。

 

 戦国期に江戸氏は、佐竹氏の配下となっていたようですが、独立性の高い在地領主として振る舞い、佐竹氏にとっては、扱いにくい存在であったようです。

 

 しかし、南の北条氏と、北の伊達氏に挟まれて苦戦していた佐竹氏には、内部改革の余裕はありませんでした。

 

IMG_2271.jpg

 

 多良崎城の遠景です。湖沼に突き出た半島であったことが見て取れます。

 

 1590年、豊臣秀吉が北条征伐を敢行し、伊達政宗が秀吉に下り、佐竹氏を脅かすものは無くなりました。

 

 佐竹氏は、江戸氏を急襲し、殲滅・・・ 多良崎城も、落城・・・ 以後、使用されることはありませんでした。

 

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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