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群馬県諏訪の木城② ~ 日本初レポート

 諏訪の木城の続きです。

 

suwanoki.jpg

 

 私が諏訪の木城に興味を持ったのは、1991年、学習研究社発行、西ヶ谷恭弘著「戦国の城」の名胡桃城レポートにその名が載っていたことに始まります。

 

IMG_2090.jpg

                 

                  図、本郭左側の堀です。

 

 1581年(武田家滅亡の前年)、真田昌幸が諏訪の木城に塩原源太左衛門を置いたとの記録があります。

 

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              本丸は大藪と化していました。

 

      古銭の入ったカメは、ここから出土したのでしょうか?

 

IMG_2092.jpg

 

    図、本丸右側の堀です。ここは幅もあり、良く残っているようです。

 

      藪で見栄えのしない写真の連続・・・ 申し訳ありません。

 

            諏訪の木城の残存遺構は以上です! 

 

IMG_2094.jpg

 

    他の遺構は、この方のご先祖が耕してしまわれたのでしょう・・・

 

 1589年、豊臣秀吉は北条氏直に上洛を促します。

 

 北条氏直は言います。「徳川と和議を結んだ際、関東は北条家が取る約束だった。なのに、沼田を真田家が横領したままである。このことが解決されるまで上洛できません。」

 

 そこで秀吉は、真田家に名胡桃城だけを残し、沼田と、この諏訪の木城を北条へ渡す裁定を下しました。

 つまり、三国往還の掌握権が、真田家から北条家に移されたのです。

 

 諏訪の木城には、北条方の望月主計、塩原清左衛門がはいりました。

 

IMG_2097.jpg

    南から見た諏訪の木城です。比高は十数メートルありそうです。

 

 翌年、北条家の猪俣邦憲が名胡桃城を奪取すると、裁定を無視された秀吉は、小田原攻めを敢行、北条家は滅亡し、沼田と諏訪の木城は、真田家のもとへ戻ったのでした。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

 

 > 「群馬の城」
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