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群馬県森下城 ~ 真田の為に死す!

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成21年4月25日に、お城仲間のMさんと森下城に行ってきました。

 

 森下城は、群馬県利根郡昭和村栃窪にあります。

 関越自動車道昭和インターをおり、県道65号で西へ・・・県道255号に突き当たったら右へ北上すると、600メートル程の地点にあります。

 

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 残念ながら県道沿いに、森下城の看板はありません。現在の目印はカーショップ**です。

 

 その北西、道の向かいに・・・

 

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           この様な、道なのか判断に迷うような場所があります。

 

           Mさんは、何かを発見したようです! 行って見ましょう!

 

 

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                 空き地の中に何やら看板があります。

 

           雨の降りしきる中、二人のオジサンが向かった先には・・・

 

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                ありました! 森下城跡の掲示板です。

 

         白いペンキが剥がれて腐りかけている風情がタマリマセン・・・

 

 また、森下城は背後にある片品川の流路変更にて水没し、遺構はホトンド残っていないそうです。

 

 戦国後期、武田勝頼が天目山に自刃し、武田家が滅びると、武田家臣であった真田昌幸は、信州小県(ちいさがた:上田市周辺)、上州吾妻、上州沼田(ここ)を勢力範囲とし、自立の道を歩み始めます。

 

 その真田昌幸に襲い掛かったのが関東の覇王:北条氏でした。

 

 1582年、北条氏邦は5000騎にて、鉢形を出陣し、真田方の長井坂城を制圧します。

 

 

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 位置関係のイメージ図です。

 

 北条氏邦は、次に阿曾城と森下城に攻めかかります。

 

 阿曾城の金子美濃守は城を放棄して逃走・・・

 

 森下城の加藤丹波守も川辺の小城(森下城)を放棄して、沼田城に引いても良かったのですが・・・

 

 加藤丹波は、沼田城が迎撃体制を整える時間を稼ごうとしたのでしょう。

 

 森下城に篭って北条勢の来寇を待ちました。

 

 やがて北条勢は森下城を囲み、「加沢記」によりますと・・・

 

 「(北条勢は)二重三重に、取り巻き攻めければ、加藤丹波、命を軽んじ、義を重んじ、木戸をかため、弓、鉄砲にて防ぎ、(北条勢が)攻め入れば追い出し、数刻の戦に弓折れ尽き、入れ替わる勢無し、コレマデナリと腹十文字に掻っ切り・・・」

 

 ・・・壮絶な最後を遂げたのです。

 

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 森下城跡看板の東300メートルの地点に、加藤丹波守が切腹の際座ったとされる「加藤丹波守腹切石」があります。

 

 加藤丹波守が命をとして、時間を稼いでくれたおかげで、沼田城は迎撃体制を整えることができ、城代矢沢頼綱は、北条勢を撃退することに成功しました。

 

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 森下城から見た片品川です。 北条勢はこの時片品川を渡ることは、無かったことでしょう。

 

 加藤丹波守の意地が、片品川対岸の沼田城を・・・ そして真田家を守ったのです。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

 

 > 「群馬の城」
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Comment
Re: 素晴らしい
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 加藤丹波さんについては沼田元祖記に記されていそうですが、元祖記が手元に無いので・・・
 申し訳ありません。
 一方、この年は武田家が滅亡した年ですので、上野原の加藤家の一部が、沼田の真田さんを頼って落ちのびてきた可能性が無いとは言えないですね。
素晴らしい
武士の鏡!ところで、山梨の上野原一帯を支配していた加藤家とは関係あるのでしょうか?
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