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東京都楯の城② ~ 武田遺臣が移り住んだ?

 楯の城の続きです。

 

 

IMG_1454.jpg

     藪の中に、中規模な堀と土塁を発見しました。土塁の向こうが主郭のようです。

 

 日本城郭体系によると、武田家滅亡後、武田の遺臣「田辺氏」が、移り住んだとのことです。

 

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                   中央が土橋、右奥が小口です。

 

 

IMG_1456.jpg

 土塁には、「折り」がつけられていて、先述の土橋へ横矢がかけられるように工夫されています。

 

 武田家滅亡時、武蔵に逃れようとして、落ち武者狩りに遭い、非業の最期を遂げた武田遺臣の記録が残る中、何故、田辺氏だけが無事にこの地へ定着できたのでしょう?

 

 史進さんに聞いてみました。

 

 実は、武田信虎(信玄のお父さん)に、迫害されて、この地に逃れてきていた一族がいるそうです。その一族が現在の沢の井酒造の皆様で、そのつてがあったから無事匿われた。また、田辺氏には金堀の技術があり、その技術力を買われた・・・のでは、ないかとのことでした。

 

 勉強になるな~

 

 

tateno.jpg

  イメージ図を作成しました。二本の沢に挟まれた地形を段々に削平して城となしています。

 

 日本城郭体系によると更に下方にも削平地があるようですが、防御上意味がないだろうという私見により、カットしています。(描写力の無さの言い訳)

 

 主郭右側の土塁には折りがつけられ、土橋小口があります。更に奥にも小口があります。

 

 一方の小口に敵が迫った場合、もう一方の小口から伏兵を出す思想は武田氏に強く見られることから、現在の遺構は武田家遺臣「田辺氏」によるものだと推察されます。

 

IMG_1459.jpg

      楯の城西方の明白院です関連の史跡があります。

 

 さて、田辺氏は、その後徳川の支流(水戸家とも言う)に、召しだされ、この地を後にします。

 

 田辺氏は、楯の城跡地を、三田氏の遺臣野口氏へ譲ったとのことです。

 

IMG_1462.jpg

          野口氏は、この地の村長的な立場となったのでしょうか?

 

      明白院を開き、楯の城、城門を明白院へ移築し、山門となしたとのことです。

 

 

 

IMG_1461.jpg

            これです。青梅市の有形文化財に指定されています。

 

 史進さんのご案内が無ければ素通りしていたところです。

 

 程近い、青梅の地にこれだけ複雑な歴史があったことをはじめて知りました。

 

 史進さん。有難うございました。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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