FC2ブログ
HOME   »  史跡  »  長泉寺(1) ~ 藤田信吉再建

長泉寺(1) ~ 藤田信吉再建

皆さん、こんにちは。
 武蔵の五頓です。
 2020年某日、長泉寺に行って参りました。

長泉寺IMG_6173

 長野県塩尻市奈良井(大字)365にあります。

 江戸時代の宿場町の面影を残す観光地「奈良井宿」の中にあります。

長泉寺IMG_6174

 奈良井宿内は、一般車両の進入が禁止されていますので、駐車場に車を停めて、徒歩で向かいます。

 大観光地ですが、さすがに雪のちらつく寒い時期の人出は少ないですね。

長泉寺IMG_6175

 通路を屈曲させていあります。

 防御構造ですね。

長泉寺IMG_6176

 さて、藤田能登守信吉をご存じの方は、かなりの戦国マニアです。

 元々は、武蔵の国にあり、関東管領山内上杉氏の重臣藤田家の子として生まれました。

 その後、主を次々と変え、戦国時代を乗り切り、関ケ原合戦後には下野西方一万五千国の大名となりました。

 主の変遷を紹介します。

 上杉憲正、北条氏康、北条氏綱、武田勝頼、滝川一益、上杉景勝、徳川家康です。

長泉寺IMG_6177

 創建は、南北朝時代の貞治5年(1366)であると伝えられているそうです。

 戦国時代の永禄11年(1568)、器外聞應和尚(静岡県静岡市清水区梅ヶ谷:真珠院)により曹洞宗の寺院として改宗開山したそうです。

長泉寺IMG_6178

 この山門は、奈良井宿本陣にあったものを移築したということです。

 天正10年、武田配下の木曽氏が、織田へ寝返りました。

 武田勝頼は木曽討伐の軍勢を差し向け、この地は戦場となり、長泉寺は焼失してしまったということです。

長泉寺IMG_6179

 武田氏は没落し、豊臣秀吉が天下を制し、朝鮮への出兵を開始した文禄年間に、藤田信吉が長泉寺を再建したということです。

 藤田信吉が、開基の器外聞應和尚(静岡県静岡市清水区梅ヶ谷:真珠院)に深く帰依していた縁であるとのことです。

 藤田信吉と、器外聞應和尚との接点は何処にあったのでしょうか?

 彼は、武蔵、上州、越後、会津にいました。駿河(静岡)に行く機会とすれば・・・

 信吉は真田昌幸の誘いで、武田勝頼の配下となりました。

 真田昌幸は、駿河戦線で高天神城への補給作戦を敢行するなど活躍しました。

 その際、藤田信吉が真田昌幸に同行して、駿河にあり、器外聞應和尚に会っていたのかもしれませんね。

 「長泉寺第2話」へ続く・・・

 ホームページ  「土の城への衝動」  >  「史跡の部屋」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード