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愛知県大通寺砦 ~ 別れの水杯!

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成21年6月20日、お城仲間のMさんと大通寺砦へ行ってきました
  大通寺砦は、愛知県新城市、JR飯田線長篠城駅北西スグにあります

 1575年、武田勝頼が、徳川方の長篠城を囲んだとき、付け城として築かれました. 他に、医王山砦、姥ヶ懐砦、鳶ヶ巣砦、君ヶ臥床砦、中山砦、久間山砦が、あったとのことです

 その中でも、大通寺砦は、長篠城に突き出るような形で近接しており、長篠城攻略の最前線基地でした。 IMG_2397.jpg

 

           本丸の東側から見た、大通寺砦です。

 

  武田家重臣、馬場美濃守が2千の兵を率いて、陣を置いたとのことです。

 

image1518407.jpg

 

 イメージ図です。大通寺砦が、長篠城に肉薄する位置にあることがわかります。

 

IMG_2418.jpg

 

            山腹には、大通寺があります。

 

 武田軍1万5千が猛攻を加えるも、長篠城5百は抵抗を続け、そこに織田・徳川連合の援軍3万5千がやってきます。

 

IMG_2422.jpg

 

 「三州長篠戦記」によると軍議の席上、馬場信春は・・・

 

 敵軍は倍以上である・・・

 

 1 撤退し、敵を山中の隘路に誘い込み、ゲリラ戦を展開する。 

 

 2 味方を千人損じようとも長篠城を落とし、長篠城の天然の堀となっている豊川沿いに布陣し、連合軍が攻めてきたら、応じる。(豊川の断崖は高さが50メートルもあり、敵は必ず攻めあぐねる)

 

 ・・・と、合理的な提案をしますが、武田勝頼に退けられ、設楽原に布陣する連合軍に決戦を挑むことに、決してしまいました。

 

IMG_2421.jpg

 

 その夜、馬場信春、土屋昌次、内藤昌豊、山県昌景は、ここ大通寺に集まり・・・

 

 「先ほど決まった無理な作戦では、勝利は難しいであろう。勝頼公は、一国を束ねる器ではない。このまま生きながらえても恥をさらすだけじゃ。明日の戦いでは、皆討ち死にしよう。」

 

 ・・・と、今生の別れに、この井戸の水で杯を交わしたとの話が記されています。

 

IMG_2426.jpg

 

 大通寺背後の山は大規模に削平されていて、二千の兵が籠ったことに納得できます。

 

IMG_2433.jpg

 

                解説版が、あります。

 

 削平はされていますが、土塁や堀などは無く、解説版が無ければ、確信を持ちにくいと感じました。

 

IMG_2434.jpg

 

         大通寺砦から見た、鳶ヶ巣山砦です。

 

 決戦の朝、あの鳶ヶ巣山砦が、徳川軍の奇襲で炎上するなど、武田軍は想像できなかったことでしょう。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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