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忍城(2) ~ 謙信激怒伝説


 忍城の第2話です。

 前話の塀の右角を回り込むと・・・・

忍城IMG_4941

 更に塀が続いています。

 前話の塀の左へ進むと・・・

忍城IMG_4917

 門があります。

忍城IMG_4918

 かつての藩校「進修館」の門が移築されたと伝わるそうです。

 さて、成田氏と聞いて私にとって印象深いのは、謙信激怒伝説です。

 「関東古戦録」によると・・・

 成田家は、鎌倉将軍源頼朝の下で、幾多の軍功を挙げたため、乗馬のまま、将軍に謁見することを代々許されていたそうです。


忍城IMG_4919

 本丸に入ったようです。

*時は移り、戦国時代。

 上杉謙信が元関東管領上杉憲政を奉じて関東へ進軍してきました。

 北関東の武将はこぞって謙信に従い、小田原に攻め寄せました。

 小田原城を包囲しつつ、謙信は、鎌倉の鶴岡八幡宮で関東管領就任式を行うこととしました。


忍城IMG_4920

 塀を内側から撮影しました。

*当時の成田家当主、成田長泰は、「謙信公も成田家が乗馬での謁見を許されている家柄であることはご承知であろう」と思い、乗馬のまま参列しました。

 ところが、越後で育ち、関東に出てきたばかりの謙信は、成田家の家柄のことを知りませんでした。


忍城IMG_4921

 櫓の石垣の石が残っているそうです。

*他の豪族が下馬しひざまずいて謙信を迎える中、成田長泰のみは、乗馬していました。

  これを見た謙信は激怒し、成田長泰を馬から引きずり下ろすと、扇で額を打ち付けました。

  面目をつぶされた成田長泰はそのまま、帰国しました。

  それを見た北関東の豪族たちも、「あんな横暴なやつに従っていたらどうなることやら」と帰国し始めたため、謙信は小田原攻めどころではなくなり、撤退を余儀なくされました。


 以上が、謙信激怒伝説です。

 戦記物故、事実であるかは不明ですが、歴史ロマンとして紹介させていただきました。

忍城IMG_4922

 これが解体された石垣の石ですね。

 「忍城第3話・石田三成水攻め」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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