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庁鼻和城 ~ 管領分流


 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五頓です。
 2019年10月16日には、庁鼻和(こばなわ)城に行ってまいりました。

聖天アク

 埼玉県熊谷市国済寺521にあります。

庁鼻和城IMG_4898

 国済寺の入り口です。

庁鼻和城IMG_4899

 史跡、上杉なんとか・・・ 下のほうは達筆すぎて・・・・

庁鼻和城IMG_4900

 多分・・・ 熊谷市指定文化財国済寺黒門と書かれているのだと思います。


庁鼻和城IMG_4901

 これですね。

庁鼻和城IMG_4902

 開設版がありますが、かすんで読み取れません。

 南北朝時代のこと・・・

 上杉憲顕は,室町幕府将軍足利尊氏の弟、足利直義に仕えてました。

 尊氏と直義は対立し、直義は屈服、足利憲顕は没落しました。

 しかし、足利尊氏が死去すると、関東鎌倉府の長足利基氏の招きで、上杉憲顕は復権し、関東管領に就任しました。

 その頃、群馬県や新潟県には敵対する南朝派新田氏の勢力があり、侮れないものがありました。

 そこで、足利憲顕は、利根川を隔てて、敵の勢力圏に接する庁鼻和の地へ、息子の憲英を入れました。

 憲英は、庁鼻和城を築き、庁鼻和上杉を名乗りました。

 憲英は、国済寺を建立し、今に続いているということです。

庁鼻和城IMG_4903

 黒門をくぐると、もう一つの門が見えてきました。


庁鼻和城IMG_4905

 こちらには、三門と記されていますね。
 

庁鼻和城IMG_4904

 アップです。

庁鼻和城IMG_4907

 庁鼻和上杉氏は、後に深谷城を築いて移り、深谷上杉氏となりました。

 やがて、小田原北条氏の台頭により、本家の山内上杉氏が関東を追われてしまします。

 深谷上杉氏は、小田原北条氏の傘下となりました。

 しかし、豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏は没落。

 深谷上杉氏も運命を共にしました。

庁鼻和城IMG_4908

 本堂の写真。

庁鼻和城IMG_4909

 鐘楼の写真でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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