FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  栃木県粕尾城② ~ 小山義政公3度目の蜂起!

栃木県粕尾城② ~ 小山義政公3度目の蜂起!

 粕尾城の続きです・・・

 

IMG_1022.jpg

          郭から下って行くと、粕尾城大手口の表示がありました。

 

 車を置けるスペースがあります。周囲に民家が立ち並んでもいません。

 

 よくあることです・・・・ 始めからここに来ていたら、民家に囲まれた急斜面を、住民の目に怯えながら登る必要なんて無かった・・・ なんて・・・ 今更思っても仕方の無いことで・・・

 気にしない・・・ 気にしない・・・

 

IMG_1021.jpg

 看板もあります。小山義政公が何故反乱を起こしたのか? ・・・についての、五遁の妄想は、

 

http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/hitorigoto.html ・・・を、ご覧下さい。

 

kasuo.jpg


 イメージ図を作成しました。


 とにかく広く、そして藪が多い、郭と郭の区切りが判然としない箇所が多い等の理由で、正確な図面になっていません。


 背後を断崖に頼ってはいるが、前面は緩やかな傾斜の、U字型の丘陵を利用しているというムードだけ、感じて頂ければ幸いです。


 三方向を丘陵に囲まれた場所に居館を置き、敵がそこに攻めてきたら、三方向から袋叩きにしようという、古い防御思想です。

 

 特筆すべきは「LONG土塁」でしょうか?

 城の南東方向を、だらだらと下がりながら一直線に守っています。

 戦国期にはありえない構造です。これはこれで、南北朝期の築城様式として貴重な遺構だと思われます。

 戦国期なら土塁に折りをつけ、何段にも、比高土塁を構築することでしょう。


 作りかけだったのか? 耕作により破壊されたのか? いずれにせよ現状の遺構では、誰が武将でも防御は難しいと思われます。

IMG_1024.jpg

               東側の尾根を断ち切る、堀切です。

 

IMG_1018.jpg  北郭の土塁を北側から見上げました、腰郭もあります。 IMG_1020.jpg  北郭と城外を隔てる堀切です。左が北郭の塁壁。 IMG_1027.jpg

                2方向を尾根に囲まれた居館部です。

 

 小山義政公は、ここ粕尾城で3度目の反乱の狼煙を上げました。しかし、思ったように兵は集まりません。粕尾城の全体に兵士を配置しようとすると、最低、3000人は必要だと感じますが、実際に集まった兵数は、300~500程度だったのではないでしょうか? 小山義政公配下の兵も、敗戦必至の蜂起に参加するのは躊躇したことでしょう。


 鎌倉公方の大軍を前に、小山義政公は、粕尾城での籠城を断念し、嫡子を奥羽へ落とし、自らは櫃沢城にて抗戦、嫡子逃亡の時を稼いだ後、散華されたとのことです。

IMG_1028.jpg

 居館部奥の削平地と切岸です。鎌倉府の大軍を迎えるまでの間、義政公は、このあたりに住まわれ、築城の指示を出しておられてのでしょうか?

 

IMG_1034.jpg

 本丸を背後から撮影しました。比高は10数メートルとさほどではありませんが、岩の断崖であり、この方面から攻め登るのは、不可能だったことでしょう。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

スポンサーサイト



Comment
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード