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沼田大明神 ~ 沼田氏断絶

みなさん、こんにちは。

中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

平成20年11月8日に、「沼田大明神」に行ってきました。

城ではないのですが、沼田氏の重要史跡として取り上げます。

 

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「沼田大明神」は、群馬県沼田市指定史跡「小沢城」内にあります。

「沼田大明神」は、沼田氏最後の男子、沼田平八郎景義を祀っています。

 

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 沼田氏は、平安の頃よりこの地におり、戦国時代、沼田万鬼斎顕泰の頃には、みなかみ町、沼田市、高山村、片品村、川場村、昭和村、みどり市、桐生市の西半分を有する一大勢力でした。


 上杉謙信が関東に進出すると、沼田城主沼田万鬼斎は、謙信に降ります。そして、謙信の家臣、北条高広(きたじょうたかひろ=前橋城代)の娘を、嫡子朝憲の嫁に迎え、自らは、天神城に隠居しました。愛妾「ゆのみ」との安穏な老後を楽しんでいた万鬼斎ですが・・


 「ゆのみ」の兄である金子家清は、「ゆのみと万鬼斎の子、平八郎が、沼田家を継げば、私は当主の叔父となり、権勢を振るうことができる。」と考えました。


 そして妹である「ゆのみ」に対して、「平八郎を当主に据えて頂くよう、万鬼斎様にお願いするのじゃ。」と、指示を出したのです。


 老境に達し、判断力の落ちていた万鬼斎は「ゆのみ」の言うがままに、嫡子朝憲を呼び出し、謀殺してしまいます。


 上杉謙信は、万鬼斎を許さず兵を向けました。万鬼斎は多勢に無勢で、ゆのみと平八郎を連れて、会津へと落ちて行きました。雪の峠越えの際「ゆのみ」は、凍死してしまいます。


 沼田家は没落し、沼田城は謙信による城代支配をうけることとなりました。

 

IMG_0731.jpg

 会津に落ちて居た万鬼斎が死ぬと、沼田平八郎は太田由良氏に庇護され、女淵城を与えられます。太田由良氏は、沼田家没落により支配関係が曖昧になっていたみどり市と、桐生市の西半分を制圧し、沼田進出の機会をうかがっていたのです。


 1581年、太田由良氏は、沼田平八郎に兵を与え、沼田攻めを命じます。


 その頃、沼田城を支配していた真田昌幸は一計を案じます。


 そうです! 沼田平八郎のおじである金子家清を活用しようとしたのです。


 真田昌幸は、金子家清に沼田平八郎の下へ馳せ参じるように命じます。

 

 おじの参陣を沼田平八郎は喜んで受け入れた事でしょう。

 

 真田昌幸は攻めよせた平八郎の軍勢にわざと退却し、平八郎を油断させます。


 そして、金子家清は、平八郎に告げるのでした。
 「私と平八郎様が、沼田城水の手郭に侵入すると、内応勢力が蜂起して城を乗っ取る手筈が整っております。ハカリゴトは、秘密にすすめるのが常道。真田に気がつかれぬよう、小勢で水の手郭に参りましょう。」
 
 しかし、平八郎が水の手郭に来るのを真田昌幸は待ち構えていたのです。


 平八郎は無念の最期をとげました。

 

 ここに沼田氏は断絶となりました。

 

 沼田氏旧臣の反乱を恐れた、真田昌幸は、沼田氏ゆかりの「小沢城」に、沼田平八郎を「沼田大明神」として祀り、人心を慰撫したのでした。

 

 せつない話ですね・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/


 

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