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群馬県阿曾城 ~ 最低の城将

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成20年11月8日に、阿曾城に行ってきました。

a沼須アク

 阿曾城は群馬県昭和村橡久保にあります。

 

 赤城町から県道255号を北上すると、利根川と片品川の合流点近くに「橡久保入り口」交差点があります。ここを右折し、うねうねと河岸段丘を登り、登りきって畑が開けてから、2本目の道を左折すると、たどり着けます。

 

 片品川を挟んで、沼田城を見下ろす断崖上にあり、沼田攻めをする側にとっては、奪取必須地点であります。

image1862300[1]

 解説版には、1572年に沼田万鬼斎が沼田城を築いた際、阿曾城を金子家清に与えたと書いていますが・・・・

 

 日本城郭体系では、太田由良氏が築いたものを1580年、真田昌幸が奪取し、金子家清に与えたと記されています。しかも、沼田の築城は1540年となっています。

 

 いづれにせよ、1582年に、真田昌幸の配下として、金子家清がこの城を守っていたことは確かです。

 

 この金子家清ですが、最低の人間だと私は思うのです・・・・


 

image2030936[1]

  城跡は、崖の崩落と耕作によって破壊されてしまいました。僅かに残る北側の堀跡です。

 


○最低その1 「主家を没落させ、妹を死に追いやる」


 沼田氏は、鎌倉の頃よりこの地にあり、戦国時代、沼田万鬼斎顕泰の頃には、みなかみ町、沼田市、高山村、片品村、川場村、昭和村、みどり市、桐生市の西半分を有する一大勢力でした。


上杉謙信が関東に進出すると、沼田城主沼田万鬼斎は、謙信に降ります。そして、謙信の家臣、北条高広(きたじょうたかひろ=前橋城代)の娘を、嫡子朝憲の嫁に迎え、自らは、天神城に隠居しました。愛妾「ゆのみ」との安穏な老後を楽しんでいた万鬼斎ですが・・


 「ゆのみ」の兄である金子家清は、「ゆのみと万鬼斎の子、平八郎が、沼田家を継げば、私は当主のおじとなり、権勢を振るうことができる。」と考えました。
 そして妹である「ゆのみ」に対して、「平八郎を当主に据えて頂くよう、万鬼斎様にお願いするのじゃ。」と、指示を出したのです。


 老境に達し、判断力の落ちていた万鬼斎は「ゆのみ」の言うがままに、嫡子朝憲を呼び出し、謀殺してしまいます。
 上杉謙信は、万鬼斎を許さず兵を向けました。万鬼斎は多勢に無勢で、ゆのみと平八郎を連れて、会津へと落ちて行きました。雪の峠越えの際「ゆのみ」は、凍死してしまいます。
 沼田家は没落し、沼田城は謙信による城代支配をうけることとなりました。


 金子家清の企みが結果として、沼田家を没落させ、妹を死に追いやったのです。しかも、金子家清は知らぬふりをして、その後も沼田にて禄を食んでいたのです。
 

image6237824[1]

    南側の堀跡です。

 

○最低その2 「妹の子を謀殺し、主家を滅亡に追い込む」


 会津に落ちて居た万鬼斎が死ぬと、沼田平八郎は太田由良氏に庇護され、女淵城を与えられます。太田由良氏は、沼田家没落により支配関係が曖昧になっていたみどり市と、桐生市の西半分を制圧し、沼田進出の機会をうかがっていたのです。


 1581年、太田由良氏は、沼田平八郎に兵を与え、沼田攻めを命じます。
 その頃、沼田城を支配していた真田昌幸は一計を案じます。


 そうです! 沼田平八郎のおじである金子家清を活用しようとしたのです。
 真田昌幸は、金子家清に沼田平八郎の下へ馳せ参じるように命じます。おじの参陣を沼田平八郎は喜んで受け入れた事でしょう。

 

 真田昌幸は攻めよせた平八郎の軍勢にわざと退却し、平八郎を油断させます。


 そして、金子家清は、平八郎に告げるのでした。
 「私と平八郎様が、沼田城水の手郭に侵入すると、内応勢力が蜂起して城を乗っ取る手筈が整っております。ハカリゴトは、秘密にすすめるのが常道。真田に気がつかれぬよう、小勢で水の手郭に参りましょう。」
 
しかし、平八郎が水の手郭に来るのを真田昌幸は待ち構えていたのです。
平八郎は無念の最期をとげました。

 


 別の説もあります。
 真田昌幸は、金子家清に「城は明け渡すから、受け取りに来て下さい」と、沼田平八郎に伝えるよう命じます。油断して城を受け取りにきた沼田平八郎は、無残にも殺されてしまいました。


 いずれの説によっても、金子家清は妹の子を騙し、殺し、沼田家を断絶させたのです。

image1693262[1]

       崩落によって、何分の1かになってしまった本郭にも解説版があります。

 


○最低その3 「城兵を置いて逃げ出す」


 1582年10月、阿曾城にて、北条勢の夜襲を受けた金子家清は、狼狽のあまり、城兵へ何の指示もせぬまま、崖を滑り降りて遁走してしまったのです。結果、阿曾城は落城してしまいました。

 

image2224940[1]

 イメージ図を作成しました。崩落部分を妄想補正してあります。

 

 さて・・・ そんな・・・ 最低な金子家清ですが・・・ そもそも沼田万鬼斎が、「ゆのみ」に惚れなければ、大身へとり立てられることも無く、気の弱い小物として平凡な人生を送っていたのでしょう。

 彼こそが、歴史に翻弄された被害者だったのかもしれません。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

 

 > 「群馬の城」
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