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天神山城別郭 ~ 塁線上は迷路

 皆みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成20年10月18日、お城仲間のMさんと天神山城郭に行ってきました。

天神山アク

 

 別郭は、二の郭東方、斜面を10メートル程下った場所にあります。

 1年半程前に、「城跡ほっつき歩き」の小頭@和平さんに教えていただきました。

 

IMG_0631.jpg

      二の郭からの下りは急傾斜ですので、安全のためロープをたらします。

 

 1年半前に見た別郭は、見事な構造で思わず「おお~」と声あをげてしまいました。

 しかし、一般に出回っている「平面の縄張り図」では、別郭の素晴らしさが伝わらないことに、もどかしさを感じました。

 その後、ブログを始め、ホームページを始め、イメージ図を描き始めた私は、いつしか、「別郭の素晴らしさを世に発信したい」と、切に願うようになりました。

 

IMG_0621.jpg

           ロープをつかんで、斜面を下る、お城仲間のMさんです。

 

 私が、ラフ図を作成する間、長時間お待たせして済みませんでした。

 何しろ、方向感覚を失わせる工夫があり、ふと気が着くと、自分がどの部分を描いているのか判らなくなるので、やっかいでした。

 

image3144592[1]

 

 イメージ図を作成しました。公開できて嬉しいです!

 図の左上に二の郭があります。

 横堀を、土塁が囲んでいて、両脇の土塁が斜面を登っていく、その外側には竪堀があります。

 それが、3段に重なっています。

 

 攻城兵は、土塁上の狭い通路を一列になって進むしかありません。

 しかも、その通路は屈曲し、上下し、迷路の様になっています。そして常に上部からの射撃にさらされます。

 

 この横堀と土塁、竪堀の組み合わせは、東方約5キロの花園御嶽城にも見られるため、藤田氏独特の構造だと思われます。

 

 花園御嶽城では、これらの組み合わせが1層であるのに対し、天神山城別郭は、3層となっており、別郭は藤田流築城術の究極の姿といえるのかもしれません。

IMG_0624.jpg

            図、中央の郭とその左側の郭を遮断する堀切です。

 

IMG_0625.jpg

        ラフ図を作成するのに夢中で、写真を撮るのを忘れていました。

    横堀です。奥に土塁があり、斜面を登っていっているのが判りますでしょうか?

 

IMG_0628.jpg

                    図、左下の土橋です。

 

 たぐいマレナ構造を持つ別郭ですが、堀幅はさほどではなく、鉄砲が大量に導入された時代の普請ではありえません。

 とすると・・・ 鉄砲が関東に大量導入される前で、この地方が軍事的緊張下に置かれた時期は・・・

 上杉謙信が関東を席巻し、小田原を包囲した1560年の前後と考えるのが妥当であろうかと思います。

 

IMG_0629.jpg

 別郭、南東方面の湿地です。私は今年の夏、この方面から登ろうとして、足が泥にはまり、撤退しました。戦国期も、この方面からの進軍は難しかったことでしょう。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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