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愛知県長篠の戦い「馬防柵復元地」 ~ 土屋昌次壮絶な最後!

 みなさん、こんにちは。

 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の菅原です。

 平成21年6月20日、お城仲間のMさんと馬防柵復元地に行ってきました。

 

 愛知県新城市にあり、有名な観光スポットですので発見は容易です。

 

IMG_2480.jpg

 

               武田軍側から撮影しました。

 

    1575年の長篠の戦いで、激戦が繰り広げられた場所です。

 

IMG_2482.jpg

 

 ここで、何千人もの武田兵が散ったことを思うと、武田ファンの私は心が痛みます。

IMG_2489.jpg

 

 柵だけではなく、土塁や堀も伴っていたのではないかとの推察を基にした復元も行われています。

 

IMG_2490.jpg

 

                その解説版です。

 

 右奥の小山が丸山砦です。織田方の佐久間信盛が陣を構えていたところに、馬場美濃守信春が攻め寄せ、佐久間勢を追い払ったそうです。

 

IMG_2491.jpg

 

       ここは、武田家、土屋昌次戦死の地でもあります。

 

 土屋昌次は武田24将の一人に数えられ、三方ヶ原の戦いでは、徳川の勇将鳥居信之の首級を挙げたとのことです。

 

 

 


 

IMG_2485.jpg

 

 武田側の資料「甲陽軍鑑」によると土屋昌次は・・・

 

 先月の信玄公のご葬儀で追い腹をはたそうとしたが、高坂弾正に意見されて、このような合戦まで待てといわれたにつき今まで命ながらえてきた。

 

 今こそ討ち死にするべきだと言って、敵が柵の外に出てこないので、自分から攻め込んで柵を破ろうとし、討ち死にした・・・とのことです。

 

 享年、31才、若すぎる最後でした。

 

image5151054.jpg

 現地を訪れて実感したのですが、三重の柵の防御性を更にパワーアップさせたのが、背後の丘陵だと思います。

 

 三の柵に取り付くと、柵内と丘陵上からの濃密な射撃にさらされ、三の柵を突破しても、今度は塁壁を登らなくてはなりません。

 

 織田信長の緻密な築城に武田は敗れた・・・

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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