HOME   »  中世城郭  »  埼玉県天神山城 ~ 長瀞を見下ろす堅城

埼玉県天神山城 ~ 長瀞を見下ろす堅城

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵五遁です。

 

 平成20年10月18日、お城仲間のMさんと天神山城に行ってきました。

天神山アク

 天神山城は、埼玉県秩父郡長瀞町岩田にあります。

 

 寄居から国道140号を西進し、波久礼駅前交差点を左折して荒川を渡り、県道82号を更に西進すると、白鳥神社があります。

IMG_0632.jpg

 ここが、お勧めの登り口です。1年半前に「城跡ほっつき歩き」の小頭@和平さんから教えていただきました。

 私は、それまで反対側から大回りして登っていました。

 こちらのほうが早く本郭へ到達できます。

 

IMG_0611.jpg

               本郭の北側には、横堀が残っています。

 

IMG_0613.jpg

 本郭には、朽ちかけた模擬天守があります。昭和の頃、地主さんが、二の郭と三の郭を潰して駐車場作り、模擬天守への入場料でビジネスを・・・・ と、目論んだようですが・・・・

 これが現実だ・・・

 

IMG_0614.jpg

    鉄の扉を開けると、中は荒れ放題・・・・ 廃墟マニアの皆さんも来訪されるようです。

 

IMG_0615.jpg

             本郭と二の郭の間には鉄の橋がかかっています。

 

 さて、天神山城は元々平安時代からこの地を治めた藤田氏の城でした。

 藤田氏は、室町期には、関東管領上杉氏の重臣となります。天神山城の創設はその頃といわれています。

 

 

 

IMG_0616.jpg

 二の郭と三の郭の間の塁壁は駐車場建設の為、破壊されてしまいましたが、端っこに石垣が僅かに残存しています。

 

 1510年関東管領上杉顕定が越後で戦死するという大異変が発生します。藤田氏は、天神山城より関東平野に近い寄居に花園城を築いて移ります。異変後の政局に対する影響力行使を目論んだのでしょうか?

 

IMG_0618.jpg

       三の郭は藪になっていました。昔はこんなんじゃなかったのに・・・・・

 

 1532年以降、小田原より北条氏が勢力を伸ばすと、藤田重利は、より、防御性の高い天神山城に本拠を戻します。(天神山城の築城自体をこの頃とする説もあります。)

 

IMG_0619.jpg

    天神山城南端の守り、三日月堀です。途中、竪堀にカットされているのが特徴です。

 

 1546年、川越の夜戦で関東管領上杉軍は惨敗します。北条氏康の劇的勝利でした。

 藤田重利は、北条氏康の四男氏邦を娘婿に迎え、北条氏に降ります。

 

 1564年、関東を席巻した上杉謙信の勢力を武蔵から駆逐すると、北条氏邦は、本拠を鉢形城に移します。

 

 天神山城は、鉢形城の支城となったものと思われます。

 

tenjin1.jpg

 イメージ図を作成しました。西側からの眺めたところです。

 昭和の時代に取り付けられた車道を、大手道として描いている縄張り図もありますが、私は無視しました。

 基本は、単純な連郭式ですが、腰郭や竪堀を施して補強してあります。

 図、右端の馬だし様の遺構も個性的です。

 

 しかし、何と言っても一番個性的なのは、図の反対側に別郭を持つこと、その別郭の構造が他に類例を見ないものであり、完璧に残存している点です。

 

 次回は、その別郭をレポートします。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

スポンサーサイト
Comment
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード