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広徳寺 ~ 三つ鱗を守る

 みなさん、こんにちわ。
 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五頓です。
 平成30年3月10日、広徳寺に行ってまいりました。

広徳アク

 東京都あきる野市小和田234にあります。

 仕事で訪問したある病院のロビーに広徳寺の写真が掲示されており、興味を持ち、訪問しました。

*さて、広徳寺は1373年の創建であるということです。

 南北朝時代ですね。

広徳寺IMG_8443

 現在は、東京都指定天然記念物「広徳寺のタラヨウ」が有名です。

*北朝方上杉氏配下の大石氏が、南朝の新田軍を破り、この地を与えられたのが、1351年ですから、広徳寺は大石氏の治世のもと創建されたということになりますね。

 その後、関東は享徳の乱、長享の乱と数十年に渡る大乱が続き、広徳寺はさびれてしまいました。

広徳寺IMG_8445

 「広徳寺のタラヨウ」です。

 都内最大であるということです。

広徳寺IMG_8446

 石垣も積まれ最盛時は大伽藍であったようです。

*1546年、北条氏康が川越合戦で勝利しました。

 敗北したのは、上杉氏、古河公方です。

 上杉氏傘下の大石定久は敗軍の将となりました。

 広徳寺IMG_8434

*大石定久は、北条氏康に降伏しました。

 北条氏康は、三男氏照を大石定久の娘婿とし、大石定久を隠居させました。

 隠居城は、広徳寺すぐ北西の戸倉城です。

広徳寺IMG_8432

*北条氏康は、広徳寺を再興し大伽藍とし、広大な寺領を寄進しました。

 その時の北条氏康の文書が残っているとのことです。

 大石定久の隠居場所の近くに、大石氏ゆかりの広徳寺を再興することで、大石定久の顔を立てようとしたのでしょう。

 北条氏康の心憎い配慮ですね。

広徳寺IMG_8435

 総門です。

*北条氏は関東の覇者として、繁栄をつづけましたが・・・

 1590年、豊臣秀吉により、北条本家は没落してしまいました。

広徳寺IMG_8433

 江戸時代に作られた門であるということです。

*北条氏の没落後、徳川家康が関東に入りました。

 広徳寺は、北条氏の後ろ盾を失いましたが、ある程度の寺領は認められたようです。

広徳寺IMG_8436

 山門です。

 北条氏により再興され、大伽藍となった広徳寺ですが、北条氏が没落したのだから、新たな支配者へ尻尾を振るのが繁栄の道であるはず・・・

 しかし・・・

広徳寺IMG_8438

 本堂です。

 北条の家紋「三つ鱗」が堂々と掲げられています。

 偶然、ご住職のお話を伺うことができました。

 私はゲスな質問をしてしまいました。

 「北条の本家が没落した後、存続を許された分家から内々の援助が続けられていたのですか?」

 「そういったことは全くございません。この寺を再興してくださった北条氏康公のご恩を誇りに、北条の家紋を掲げ続けているのです」 (趣旨要約)

広徳寺IMG_8439

 北条家没落後400年以上たった今まで、歴代住職が節を曲げずに・・・

 ゲスな自分を恥じ入り、広徳寺を後にしました。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「史跡の部屋」
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