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躑躅ヶ崎館(21) ~ 武田神社

 躑躅ヶ崎館の最終話です。

武田C011

 本郭の南側に美しい木橋が建設されています。

 西側からの写真です。

*躑躅ヶ崎館には武田滅亡後、甲斐には織田家臣の川尻秀隆が入ります。

 しかし、本能寺の変により織田信長が急死すると、川尻秀隆は甲斐の武田残党により殺されてしまいました。

 徳川家康は武田残党を次々と配下に招き入れ甲斐の支配者となりました。

武田A005

 今度は東側からの木橋です。

*徳川家康は甲府城の築城を企図しましたが、豊臣秀吉により関東へ移されました。

 その後、羽柴秀勝、加藤 光泰、浅野長政等が甲府城の築城にあたり、甲府城の竣工をもって躑躅ヶ崎館は放棄されたと推察されています。

 徳川幕府が存在する間、甲斐の住民は武田信玄への信奉を口にすることを憚っていましたが、徳川幕府が滅び、明治の代になると、甲斐の人々から武田信玄公を祭る神社を造営しようという運動が起こり、広がりました。

 甲斐の人々から多額の寄付が集まり、躑躅ヶ崎館跡に信玄公を祀る武田神社の建設が始まりました。

 大正8年には社殿が竣工し、以来、山梨県民の信仰を集めているとのことです。

武田D018

 木橋を近くから・・・

躑躅ヶ崎図20

 参道の木橋は、往時の躑躅ヶ崎館にはありませんでした。

 最終話は、観光名所「武田神社」としての紹介になります。

武田D019

 木橋を正面から撮影しました。

武田D021

 木橋西側の水堀です。

武田D023

 この石垣は大正時代のものということになりますね。

武田D022

 経緯を知らない多くの観光客は、信玄公がこの石垣を築いたと誤解されているかもしれませんね。

武田D024

 武田神社の鳥居です。

武田D029

 境内に入りました。

 本郭の南東側ですね。

武田D026

 本堂です。

 武田D027

 お参りをします。

武田D028

 本堂の奥側を撮影しました。

武田D030

 往時の大手土橋の写真でお別れです。


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