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群馬県名胡桃城

4日ほど前に、群馬県の名胡桃城へ行ってきました。

何度も訪れているのですが、ブログを始めたので、これ用に写真を撮りに行きました。

利根郡月夜野町の国道17号に隣接しているので、気軽に訪れることが出来ます。

名胡桃城は、豊臣秀吉による小田原北条氏征伐のきっかけとなった、歴史上重要な城です。


              国道17号から三の丸を眺めた写真です。

              中程に堀があるのですが、写真では判りにくいですね。

 


            名胡桃城は東に利根川があり、天然の堀としております。

   南と北は断崖で、陸続きの西側を順次掘り切り、小規模ながら防御力が高い縄張りです。

 


             二の丸から本丸を見た写真です。

             手前が堀で左側奥が本丸です。

             右側は断崖で、登ることは不可能です。

             右側の奥には沼田方面を眺めることが出来ます。

 

 名胡桃城は、戦国時代後期に長野県上田市を本拠とし、群馬県北部を領有する真田昌幸により築かれたとされています。

 武田勝頼の臣下であった真田昌幸は、武田氏滅亡後織田信長に忍従します。

 織田信長が本能寺の変に倒れると北条氏に身を寄せます。

 織田信長亡き後の、山梨県、長野県の領有をめぐって北条氏と徳川家康が対立します。

 徳川家康は、大きな領地を与えると真田昌幸を誘います。

 真田昌幸はそれに乗り、北条氏から徳川家康に寝返ります。

 これにより戦況は徳川有利となり、山梨、長野は徳川家康、関東は北条氏とする、北条氏にとっては、ほとんど益の無い和睦が整います。

 北条氏は、関東は北条の持分との約定であるから群馬北部の真田領を渡せと迫ります。

 徳川家康は、真田昌幸に対し、加増の約束を果たさないばかりか、北条へ領地を割譲せよと迫ります。

 真田昌幸はこれを拒否し、怒った徳川家康は真田討伐の軍勢を催しますが、昌幸は上杉景勝を通して、豊臣秀吉に通じ、上田城にて徳川軍を撃退します。

 その後、豊臣秀吉は、徳川家康を屈服させ、北条氏にも忍従を迫ります。

 北条氏は、徳川との約定にて領有を約束された、群馬県北部の沼田領の領有を主張します。

 そこで秀吉は、利根川を境として東側の沼田城を北条氏へ、西側の名胡桃城を真田氏へとする、裁定を下しました。

 ところが1589年、北条氏の重臣猪俣邦憲が、名胡桃城を急襲し、これを奪ってしまいます。

 裁定を軽視された秀吉は、北条征伐を敢行、これに従軍した真田昌幸は名胡桃城と沼田城を再び手に入れることが出来ました。

 

 ホームページ「土の城への衝動」http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

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