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北条城(10) ~ 不運の没落

 北条城の最終話です。

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 再度、武者溜りです。

 「F」からの道は、矢印の場所に出ます。

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 武者溜りから、詰郭へ向けて細長い郭が続いています。

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 武者溜りを振り返りました

s北条城

*本能寺の変の後、武田遺領をめぐり、北条(ほうじょう)と徳川が争う天正壬午の乱が勃発しました。

 両者は甲斐若神子で対陣をしましたが、真田昌幸が北条(ほうじょう)から徳川へ寝返り、北条(ほうじょう)の糧道を絶ったため、北条(ほうじょう)は和睦、撤退せざるを得ませんでした。

 和睦の条件に、「沼田領を北条(ほうじょう)へ引き渡す」がありました。

 徳川は、真田昌幸へ「沼田領を北条(ほうじょう)にあげちゃって」と命令、真田昌幸はこれを拒否し、上杉景勝の傘下へ入りました。

 上杉景勝は、その頃豊臣秀吉に重く用いられ、東国取次役に任じられていました。

 北関東の諸将の中には、「上杉景勝が越山し関東へ侵攻し、自分たちの味方になってくれるのでは」との期待が広がっていました。

 北条(ほうじょう)は、甲斐から引き上げると、北条(きたじょう)高広へ「これまでのことは水に流すから、一緒に真田を攻めましょう」と誘いをかけました。

 しかし、一方、上杉家重臣直江兼続からも、高広へ誘いの書状が届いていました。


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 詰郭が見えてきました。

*北条(きたじょう)高広は、上杉景勝の越山と、上杉派佐竹の後詰めに期待し、北条(ほうじょう)からの誘いを断りました。

 ところが、越山も後詰めも無く、北条(ほうじょう)の大軍に囲まれた北条(きたじょう)高広は、降伏。

 前橋城を明け渡し、大胡城に退去。隠居の身の上となりました。

 1583年、北条高広66歳のときのことでした。

 それ以降の彼の記録は見つかっていません。

 墓所も定かではないようです。


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 詰郭です。 

*上杉⇒自立⇒上杉⇒ほうじょう⇒上杉⇒ほうじょう⇒武田⇒織田⇒自立⇒没落

 真田昌幸ばりに、主を変え続け、生き残りを図った高広ですが、最後は寂しい結末となっていしましました。

 しかし、「彼は知恵の限りを尽くし、幾多の危機を乗り越え、懸命に生きた。」それだけは確かであると思います。

 もっと注目されても良い武将ではないかと思います。


IMG_7031_20171119110739410.jpg

 最終防御地点ですね。

IMG_7020.jpg

 本郭からのふもとの景色。

 高広は、人生の後半に、この景色を見ることなく、没したのでしょうか?

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 本郭からの日本海でお別れです。

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