FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  北条城(8) ~ ほうじょうの非道

北条城(8) ~ ほうじょうの非道

 北条城の第8話です。

IMG_7049_20171119101334559.jpg

 道は屈曲しながら登っています。

IMG_7047.jpg

 また、広めの腰郭が現れました。

IMG_7048_20171119102312e29.jpg

 武者溜りへの登りです。

s北条城

*1578年6月、北条(ほうじょう)は、重臣北条氏邦、河田重親、北条(きたじょう)高広を越後へ侵攻させました。北条(ほうじょう)の子上杉景虎を支援するためです。

 北条(ほうじょう)軍は、荒戸城、浅貝寄居城、樺沢城を陥落させると、坂戸城、板木城、浦佐城へ攻勢をかけます。

 また、北条(きたじょう)高広は息子の景広を本拠の北条城へ派遣しました。

 ところが、冬が近づき、三国峠が雪に閉ざされようとする頃、北条(ほうじょう)氏邦は関東へ引き上げてしまいました。

 北条(きたじょう)高広と河田重親は深雪の中、敵国に孤立してしまいました。

 この状況を見た上杉景勝は景虎への攻勢を強めました。

 上杉景虎と北条(きたじょう)景広は討ち死にし、越後の当主は上杉景勝に確定しました。

 北条(きたじょう)高広の越後での本領は、上杉景勝に接収され、北条(きたじょう)高広は故郷を失うことに・・・

 北条(きたじょう)高広と河田重親は関東へ帰国せざるを得ませんでした。


IMG_7022.jpg

 武者溜りです。

IMG_7021_20171119102819a76.jpg

 アングルを引きました。

 本郭と詰郭の間にあり、一段低くなっています。

 攻城兵を武者溜りへ誘導し、挟撃する防御構想でしょうか?

*ところが・・・

 平山優著「武田氏滅亡」によりますと、河田重親不在の間に、河田氏の支配地域が北条(ほうじょう)配下の武将に横領され、北条(ほうじょう)はこれを追認していたのでした。

 北条(ほうじょう)の命で越後へ攻め入り、置き去りにされ、帰ってみたら河田重親の領地は加増されるどころか、何分の1になってしまっていたのでした。


IMG_7042_20171119104400d74.jpg

 今度は、詰郭の北側の堀切に来ました。

*河田重親と苦楽を共にした、北条(きたじょう)高広の心中に 「これが北条(ほうじょう)のやりかたかぁ~!」 と怒りがこみ上げたことでしょう。

 北条高広自身も、息子を見殺しにせざるを得なかった・・・

 その頃、武田勝頼から誘いがありました。

 「あんなひどい北条(ほうじょう)より、武田につきませんか? 一緒に北条(ほうじょう)への恨みを晴らしましょう」

 北条(きたじょう)高広は、武田の傘下となりました。

 1579年、北条高広62歳のときのことでした。


IMG_7041_20171119104514bcc.jpg

 詰郭の塁壁のアップです。

 「北条城第9話・自立への模索」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「新潟の城」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード