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埼玉県竜谷山城~武田信虎着陣

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 

 平成20年7月5日、竜谷山城に行ってきました。10数年ぶりです。

龍谷山城アク

 竜谷山城は、埼玉県毛呂山町「八高線毛呂駅」西方約1,5キロ、鶴ヶ島ゴルフ倶楽部の敷地内にあります。

 

 戦国時代に、飯能、日高、毛呂山、越生を支配した毛呂氏には、居館が幾つかありますが、どれも防御性に乏しく、有事には対応できません。

 そこで、毛呂本郷に隣接した急峻な山城である、この竜谷山城が、毛呂氏の詰城であったとの説が有力です。

 

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 県道30号線から、毛呂本郷交差点で西に向かい、阿諏訪集落に入ると、この看板があります。雷電神社入り口です。

 

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 道を進むと程なく、ゴルフ場に入ります。「私の車が立ち往生しているのを見て、あわててカートに戻るゴルファーの皆さん」の写真です。

 

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        竜谷山城専用駐車場があります。郭の跡。でもあります。

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 イメージ図を作成しました。神社と取り付き道路建設により破壊された部分を妄想補正しております。横堀があり、竪堀もあり、なかなか戦闘的な城です。

 横堀は、ゴルフ場方面からの敵の進入に備え、更に斜面への迂回を阻止できるよう、竪堀につながっています。斜面迂回阻止の為の竪堀は、もう2本あり、腰郭が付設されています。

 1000人くらい、篭れそうです。

 

 

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          腰郭です。これが、藪ではないんですね~。はい。

 

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      図右側の細長い郭です。神社の参道ですから、藪ではないんですね~。

 

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        石畳建設により切岸が破壊されているようです。

 

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           二の郭とおぼしき場所です。芝生なんですね~。

 

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      主郭とおぼしき場所には、櫓台があり、雷電神社が鎮座していました。

 

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     主郭からの関東平野です。写っていませんが、右側に毛呂氏館があります。

 

 毛呂氏は、鎌倉時代からこの地を治めていました。

 戦国初期には、扇谷上杉氏の臣下でした。

 

 1524年、北条氏綱が扇谷上杉氏の江戸城を、奪取し、岩槻城も手に入れます。

 この時、毛呂氏は北条氏綱に通じ、扇谷上杉氏に反旗を翻します。

 扇谷上杉氏は、本拠の川越の西に広大な領土を持つ毛呂氏の反逆に危機感を募らせました。  

 川越城は、東の岩槻城、南の江戸城、西の毛呂氏に包囲される形となったのです。

 

 扇谷上杉氏は、山之内上杉氏と、甲斐の武田信虎(武田信玄のお父さん)に援軍を要請します。

 武田信虎は、迎撃体制をとる北条軍を大月の猿橋で撃破し、山之内上杉氏と、扇谷上杉氏と共に、毛呂氏の要害を囲みます。

 この時の、毛呂氏の要害について、諸説ありますが、竜谷山城であるとの説が有力です。

 

 北条氏綱も援軍を派遣し、毛呂氏が要害を連合軍へ引き渡すことにより、和議が成立しました。

 

 毛呂氏の支配地は、一時的に削減されたようですが、その後北条氏が川越の夜戦にて、扇谷上杉氏を滅亡に追い込むと、旧領に加え、越生が加増されたようです。

 

 ちなみに武田信玄の初婚の相手は、扇谷上杉氏の娘です。援軍の代償に娘を嫁にやるとは・・・  戦国期に生まれてこなかった女性は幸せですね。

 

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帰り道です。戦国の人々はこの様な土地の活用のされ方をするとは想像も出来なかったでしょう。

 

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     竜谷山城の景です。標高203メートルですが、頂上付近が切り立っています。

 

     次に竜谷山城を、訪れる際は、ゴルフ場を通らない登り口を捜してみようと思います。

 

          

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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