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埼玉県毛呂氏館~勇気ある決断!

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 平成20年7月5日には、毛呂氏館に行ってきました。

龍谷山城アク

 毛呂氏館は、埼玉県毛呂山町、八高線毛呂駅南西約1キロにあります。

 

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              長栄寺の境内と裏山がそれにあたります。

 

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                  県指定史跡の表示もあります。

 

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 毛呂氏は、源頼朝の挙兵に参加し、鎌倉幕府成立にあたり、毛呂郷を与えられたそうです。

 毛呂氏は、最盛期、越生、毛呂山、日高、飯能まで、その影響下に治めたそうです。

 

 戦国期1524年北条氏が、江戸城を奪取すると、毛呂氏はいち早く北条氏に降ります。

 この決断は凄いです。三鷹、八王子、青梅、川越は、まだ、扇谷上杉氏が抑えていて、毛呂領と北条領と接点が無い時点での、決断です。この早い決断のせいで、毛呂氏は婿殿を押し付けられたりせずに済んだんだろうと思います。

 しかし、豊臣秀吉の北条征伐時、毛呂氏は八王子城に篭城し、殲滅の憂き目に遭いました。

 

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          毛呂氏館の遠景です。左側に見える建物が長栄寺です。

 

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 イメージ図を作成しました。主郭は、右と左、二箇所に小口があります。

 

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 イメージ図、中心部を縦に切断し、真横から見るとこうなります。

 主郭よりも高い位置にだらだらの尾根が続き、背後から攻められたらひとたまりもありません。

 鎌倉期などは、これで通用したでしょう。背後から敵を襲うのは卑怯であるとする価値観が強かったのですから。しかし、何でもありの戦国期には守りきれないと思われます。平時の居館として使用し、戦時には北方約1キロの「龍谷山城」を使用したのでしょう。

 

 

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     主郭背後の堀です。藪で見えにくいのもありますが・・・ 浅いです。

 

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      主郭です。往時は御殿が建ち、殿と姫が暮らしていたんですね~。

 

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             二の郭の右側の郭は、竹林になっています。

 

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       図、左側の小口から本郭を覗いてアーゲル! ・・・の写真です。

 

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 小口のあたりから切岸を見ると、崖崩れになっていました。建物は長栄寺、二の郭にあたります。

 

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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