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埼玉県龍ヶ谷城①~地勢を生かした堅城

 みなさん、こんにちわ。

 中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。

 平成20年6月24日に龍ヶ谷城に行ってまいりました。

龍ヶ谷城アク

 龍ヶ谷城は、埼玉県秩父郡皆野町下多野、皆野寄居バイパス「皆野長瀞インター」東方約800メートルの山上にあります。

 別名を、「千馬山城」「戦場山城」とも呼びます。

 20年ほど前に訪れた際は、まだ、城の見方が解らず、本丸にたどり着いて、「いい景色だな~」と思って、帰ってきてしまいましたが、今回は、くまなく見てまわりました。

 中腹に、シャープで、技巧性の高い遺構があり、ちょっと感動しました。

 また、地勢を巧みに利用した縄張りであることがわかりました。

 訪れるたびに新たな発見があるのが、山城の楽しみの一つですね。

 

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          県道88号からの侵入路と、龍ヶ谷城の遠景です。

 

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 戦国期、鉢形城の支城として用土新左衛門が、築いたと記されています。

 私見では、それ以前に土豪の城があり(本郭、二の郭の範囲)、用土新左衛門が、尾根筋と、中腹の郭を増設したのではないかと思います。

 1569年に、武田信玄が来襲し、この城の西側で戦闘があり、「戦場」「西戦場」の地名が残っているとのことです。

 

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 イメージ図①です。地勢を生かした堅城であることを視覚的にご理解いただければと作成しました。北と西は急斜面で敵を寄せ付けません。東は標高の高い山があり、大軍の進入は困難です。城への取り付き口は、南の谷からに限られます。

 しかし、谷への侵入路は、沢川が天然の堀をなしています。渡河に成功しても、尾根と尾根に挟まれた幅10メートルほどの隘路が、天然の小口となっています。

 南側の尾根筋は、城跡と認定されていませんが、幾段もの削平地があり、伏兵を潜ませることが出来たことでしょう。

 谷に進入出来たとしても、伏兵に隘路を封鎖されると、袋のねずみとなってしまいます。

 

 戦巧者の武田信玄は、このことを理解し、谷へ進入する愚作をとらず、龍ヶ谷城の西に布陣し、城兵をおびき出す作戦に出たものと思われます。

 

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   南の尾根筋にある削平地の一つの写真です。夏の藪の徘徊は蜘蛛の巣との戦いです。

 

100_1486.jpg

       隘路には、若干の石積があります。ここに門や柵が合ったと思われます。

 

100_1464.jpg

     登り口です。看板はありません。

 

     次回以降、郭たちと、用土新左衛門について解説して参りたいと思います。

 

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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