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長野県堀の内城~完存する二重の三日月堀

 雨の降りしきる中、靴とズボンをびしょびしょにして、土の城をさまよっているのは、何処のどいつだい? 私とMさんだよ! ・・・と、お笑いネタをパクッテおいて・・・・・  みなさんこんにちは。中世城郭愛好家土の城派、武蔵の五遁です。  平成20年5月31日には、城仲間のMさんをご案内して堀之内城へ行ってまいりました。 堀ノ内城アク  堀之内城は、長野県佐久郡小諸市大久保にあります。  日本城郭体系によると、布下仁兵衛雅朝が、城主であったとのことです。  ふもとには布下館があるため、平時は布下館にいて、戦時は堀の内城に篭ったとされています。 horinouti.jpg  イメージ図を作成しました。大変珍しい縄張りです。  東京都の戸吹根小屋城に似ていますがスケールが違います。  本郭は広大で小諸城にも匹敵する面積です。往時には、幾つかの郭に区画されていたものが、耕作されてしまったのだと思います。  三方を崖に囲まれ、残る一方も細尾根で、専守防衛の構造です。  大手の入り口は、二重の三日月堀と、二重の土塁に守られています。  これはかなり貴重な遺構です。二重の三日月堀が現存する城は、日本中で10に満たないのではないでしょうか?  細尾根を進むと、小保塁からの射撃が待ち受け、堅固な守りです。  搦め手もあるものの千曲川の崖下へ至る道で、搦め手から軍勢を出して、反撃することができません。そこで、すぐ近くにある楽岩寺城と連携し、そこから反撃、けん制出来るようにしたのたど思われます。 100_1346.jpg  外側の三日月堀は、水堀となっています。 100_1347.jpg  水堀の内側は土塁となっており、堅固な守りです。 100_1345.jpg  尾根の中程の堡塁です。車道の建設で、破壊されていますが、残存部分から、旧状を推察できます。 100_1340.jpg  本郭には、畑や水田が広がっています。  もっと写真を沢山撮っておけば良かったと後悔していますが、雨と強風の悪天でしたので、気持ちの余裕がありませんでした。 100_1341.jpg  本郭にはため池も幾つかありました。篭城の際、水の心配は無かったでしょう。  戦国時代、武田信玄が佐久への侵攻を開始しますが、堀の内城主布下仁兵衛雅朝と楽厳寺雅方(隣の楽厳寺城主)は、力をあわせると共に、村上義清の支援を得て、頑強に抵抗しました。
 しかし、ついに天分17年(1548年)両城は、落城し、布下仁兵衛雅朝と楽厳寺雅方は、村上義清の許へ奔り、暫らくは砥石城の守備にあたっていたとのことです。 *平成24年10月12日追記   楽厳寺雅方が砥石城の守備にあたっていたというのは、「甲陽軍艦」の記述です。「甲陽軍艦」は江戸時代に、史実と、誤解と、創作が混然一体となって記されたものであります。楽厳寺雅方はこの地を攻められて、信玄に降っていたようです。  二重の三日月堀は、武田の手による増設であると思われます。 100_1335.jpg  西方約3キロにある外山城から見た、堀の内城です。写真中央、千曲川に向かってせり出した部分の突端にあります。  水運をもおさえる要害の地であったことが解ります。

 ホームページ「土の城への衝動」 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

 

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