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茨城県小田城~上杉謙信の前に落城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成20年4月19日に、お城仲間のKさん、Mさんをご案内して小田城に行ってきました。
 小田城は、茨城県つくば市小田にあります。
 小田城は、南北朝期に南朝方の城となり、北畠親房が「神皇正統記」を記したことで有名です。


 

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 本丸跡には、解説版が設置されています。

 「関東古戦録」によると、戦国期、上杉謙信の指揮下、佐竹、宇都宮、多賀谷、真壁などの軍勢が城を囲み、耐えかねた城主小田天庵は、藤沢城へ脱出したとのことです。

 「関東古戦録」には、小田天庵と太田三楽(元岩槻城主・佐竹氏配下)との、小田城をめぐる取ったり取られたりの攻防が記されています。

 

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 本丸から離れた小田集落の中心部には復元縄張り図が掲示されています。

 豊臣秀吉による天下統一の時点では、佐竹氏の配下にありました。
徳川家康が関東に入府すると、対徳川の拠点基地として大改修され背後の山を取り込んだ総構えが完成したのではないかとのことです。


 

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 本丸南西隅のらぐら台には、石碑があり、多くの城本、ホームページではこのショットが掲載されていますね。

 

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             やぐら台の背後には水堀があります。

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 前日が大雨だったため、「往時水堀、現状わずかな窪み」が、水堀っぽく撮影できました。本丸南側の堀跡です。

 

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    普段は判然としない本丸西側の堀と郭も大雨のおかげでくっきりと見て取れました。

    左側が丹後屋敷です。

 

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     信太郭の土塁も現存していました。手前と右が堀です。

 佐竹氏は、関が原の戦いで西軍よりの行動をとったため、戦後秋田へ減封となり、小田城は廃城となりました。

 

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 本丸の北西には、廃線となった鉄道の「常陸小田駅」のホーム跡があります。時代は違いますが、これも歴史遺跡ですね。

 

ホームページ土の城への衝動 http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

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