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荒神山砦 ~ 板垣信方布陣

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成29年1月1日、お城仲間のМさんと荒神山砦に行って参りました。

羽場城アク

 長野県上伊那郡辰野町樋口にあります。

 荒神山公園のある丘陵のどこかに砦があったそうですが、公園化による大幅な地形の改変で、今はどの場所にあったか特定できないそうです。

荒神山砦

 そんな中、先人が第一候補として挙げているのが、1の場所です。

IMG_2914.jpg

 この右側です。

IMG_2916.jpg

 給水施設でしょうか?

IMG_2915.jpg

 周辺に平場がありますが、切岸や堀などはありませんでした。

IMG_2918_20170104113211800.jpg

 先人が第二候補とする場所です。

IMG_2919_20170104115111e14.jpg

 第二候補の場所には美術館が建っています。

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 山の上にこんな大きな池を作ってしまうんですから、元の地形がわからなくなってしまうのは無理がないですね。

*1544年、武田軍は諏訪から上伊那へ攻め込み、荒神山砦を攻め落としました。

 しかし、敵の小笠原氏が策動したため、兵を引きました。

 翌1545年、武田信玄は高遠城を落とし、福与城を包囲しました。

 福与城は、荒神山砦の南方にある藤沢氏の拠点でした。

 藤沢氏は、小笠原長時へ援軍を要請、小笠原長時は深志平から龍ヶ崎城へ着陣し、武田勢をけん制しました。

 武田信玄は、家臣の板垣信方に龍ヶ崎城への対応を命じました。

 板垣信方は荒神山砦に布陣すると、機を見て龍ヶ崎城を急襲し、小笠原勢を追い落としました。

 援軍がいなくなり孤立した藤沢氏は、信玄に降伏しました。

 高所に布陣し、「敵もこのように高い場所へ攻め上ってくることはあるまい」と油断しているところを、急襲され、敗北する・・・

 小笠原長時は、3年後の1548年に同じ過ちを繰り返し・・・

 塩尻峠の戦いに大敗・・・ やがて、領地を追われることとなりました。

 敗戦から学習するか、学習しないかが、戦国で生き残れるか否かを決するのですね。

荒神山砦

 さて、私が怪しいなと思う場所は、3です。

 川に近く、川を天然の堀として活用できます。

 また、諏訪からの道と、深志平からの道を監視できます。

IMG_2923_2017010411474100e.jpg

 3の場所の目印は、D51です。

IMG_2906_20170104114825148.jpg

 細長い地形が伸びています。

IMG_2907_20170104114855ac1.jpg

 先端の東屋からは・・・

IMG_2910_20170104114954f0f.jpg

 龍ヶ崎城を遠望できます。

IMG_2806_20170102085426b8a.jpg

 北側の大城からの、荒神山砦(中央の森)でお別れです。

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